教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 99回 決まりは学級生活を良くするためのもの

質問内容
前へ向かって進み始めた子どもたちへの次へのステップへの手立て
      ↓
自分たちのやりたいことをやり遂げようとしている
目的「こうしたい。」という思いを持って動ける
*しかし、「きまり」や「枠」にとらわれたり、とらわれすぎたりして、思い切れないことが多々あります。(学校自体もきまりを全面に押し出しすぎるのも原因)



具体的にどういう場面なのかわかりませんが、自主的に目的と願いをもって行動し始めた子どもたちの指導ということなのでしょうか。以上


子どもたちが意欲をもってくると、学校としての枠組みが子どもたちの活動を狭めることがあります。
子どもたちの欲求や願いがでてくることはとても大切なことです。それだけ、自分たちの願いがかなえられる可能性のある学級集団に育ってきたのです。


ところが、文化的な活動を実行しようとしても、周りの学級や学校という規則に縛られることがあります。だからといって、子どもたちの考えをそのまま通すことはできません。
担任としては、少しは無理を聞きたいという気持ちもてできます。
しかし、このことは、子どもたちにもう一つのことを教育する絶好のチャンスでもあります。


それは、子どもたちの活動は、学校あるいは学年という社会のなかで実施されるべきものです。国を意識する、公を意識するという考え方を、今の子どもたちの中に育てていく機会でもあります。
少し大げさなように思われますが、子どもは、学校集団という枠組みの中で生活しています。ですから、周りの学級へ配慮する気持ちを育てるようにします。


休憩時間でなくても、学級の都合で授業時間に休憩をとることがあります。そのときには、隣の学級に迷惑のならないような休憩時間の過ごし方を考えさせる必要があります。


お楽しみ会のような学級活動は、すべての学級、学年がお楽しみ会をしているわけではありませんので、そのあたりのことも考えるようにします。


校外学習で、外出先の広場でみんなで遊ぶときも考えます。
そのためには、子どもたちを現地で解散させる前に、広場の様子を観察させておきます。どんな人がどのようにすごしているか(公園遊びでも)を理解させます。


校外学習の電車の中も同じです。
どんな人が一緒に乗車しているのか。読書している人、居眠りをしている人、会話を楽しんでいる人、赤ちゃんをだいている人など、過ごし方が多様です。
この多様性の中で自分も生きているという実感を持たせるようにします。


さて、子どもたちは、学級が始まった時からあった決まりがうっとうしくなることがあります。先生が決めたルールも、今の自分たちにとってはしっくりこないこともあります。
そのように感じることが、子どもたちの成長です。


したがって、新しい決まりを子どもたちに作らせていきます。その時に、学級という単位だけで考えるのではなく、学校社会の一員としての自覚のもとに新しい決まりをつくります。


その反対に、決まりを作るのではなく、決まりを自分たちの生活に応じてよくすることも大切な姿勢です。
決まりを守る中で、自分たちの生活を向上、願いの実現を模索させます。
教育は、隣の人を思いやる力を育てることも一つの目標です。

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