教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 89回 授業者は、挙手しない子どもに焦点をあてる

子どもたちは、自信がないので小さな声で独り言のように話します。
先生が自分の声を拾ってくれたらいいのになあという思いもあります。
あるいは、自分の気持ちがすぐに言葉にでてしまう子どももいます。


そこで、「独り言ですか、発言ですか」という問いかけ。
ぼそぼそ言わせないで全体に聞こえるように指導します。
しかし、声の大きさを求めるときに大切なことは、他の子の声と比べません。
声の大きさは、その子の心の扉をどれだけ開いているかを表しています。
決して、一律に指導してはいけません。
相対的評価ではなく、どこまでも個人内評価を維持します。


挙手は、静かに手をあげさせます。
声を出さないで自分を表明する手段ですので、手をあげながら「はいはい」は、いらないということを納得させます。
禁止でも規制でも、いかに子どもたちを納得させるかが子どもたちからの信頼を生むことになります。


さて、挙手せる目的の中に、子どもたちの理解の程度を確かめることがありますね。問いにたいして、子どもたちの挙手人数が少ない場合は、もう一度、説明し直したり、班に戻したりします。
挙手、即指名で授業を進めていくと、できる子、わかる子だけを相手にすることになります。
考えてみると、先生の対象者は、手をあげる子どもではなく手があがらない子どもでいるはずです。
挙手は自信のない子どもを優先させます。
先に、わかる子を優先すると、あとの子どもたちは言えなくなり考えることを放棄します。


もう一つ、重要なことがあります。
先生は、誰を相手にしているか、挙手する子か挙手しない子のどちらですか。
わからないので挙手しない、自信がないので挙手しない、そのような子を大切にしたいものです。


 何人、手があがったかではなく、何人、手があがらなかったか、何人、発言したかではなく、何人、黙っていたかということに気を配りたいものです。
授業参観のあとの研究会において、子どもたちは、よく手をあげていましたね、という意見が多いです。
手をあげなかった子どもたちの表情、思いがどうなのかということに気配りする必要があります。


挙手は、子どもの理解の有無を確かめるものです。
もう一度挙手することの意味を考えて授業に臨むことが大切だと考えます。

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