教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 859回 子どもが動けば 子どもが残る

入口と出口。そこは、人が交錯する場所である。
 ドア、そこから入る人もいれば、出る人もいる。
同時に出入りすると、人と人とが重なり合う
 そこに自然に生まれるのが「譲り合い」である。
時には出合い頭の衝突もある。
考えてみると、公共の場にはすべて入口と出口がある。


教室の出入り口、子どもの様子を観察する。
教室から廊下に停止なしに飛び出す子。
ゆっくり出口に近づきゆっくりと廊下に出る子。
入ってくる子がいないかを確かめてから出る子。
向こうから入ってくる子があれば先を越して出ていく子。
入ってくる子を優先して自分はそのあとで出る子。
そこには、我が先だという心の持ち方。
相手の立場で配慮する子。


入室して自分の机にすわる子を観察しよう。
椅子を後ろに音を立てて座る子。
椅子を持ち上げてゆっくりとひいて座る子。
まわりの友だちを気遣いなから自分の行動を選択する子


学習が終わり運動場に出て行ったあとの椅子と机上の様子を観察する。
椅子を机の中に入れてから立ち去る子とそうでない子。
机上に次の準備がなされている子とそうでない子。


給食の時、おかずを食べ残す子とそうでない子。
食器に残菜を付けている子とそうでない子。


子どもが動いた後には、子どもの育ち、子どもの心、生きる姿勢が残る。
これは大人でも同じである。
洗面所のタオルを使った後、整えてあるだろうか。
玄関の靴はそろえてあるだろうか。
子どもを観察するというのは、実際の姿だけではない。
立ち去ったあとの様子、事実から子どもがわかる。

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