教育随想 800回 子どもの潜在的な力を信じて
病気も傷害も、最終的には本人の潜在的な力で修復する。
コロナも同じである。
人間の免疫力を信じることが必要である。
もともと人間の体に生まれた時から備わっている力を最大限に引き出せるようにするのが免疫力である。
外部の薬に頼りすぎると、本来の自己復元力を失う。
子どもの生活、学びも同じである。
子どもが持っている潜在的な力を発見し、引き出し、使わせるようにする。
算数の問題に理解しづらく停滞している子ども。
子どもは迷うことで学ぶ力を習得する。
それなのに、自力で解決しなければならないことまで、先生が手を出す。
先生としては、理解の遅い子どもを目にすると辛い。
先生自身の力が問われているように思うからである。
だから、ついつい、子どもに多くのヒント、さらには、学びを代行することさえある。
子どもを待つことは、正直つらいものである。
困っている子どもを見ていると、何とかしてあげたくなる気持ちになる。
それは、先生は自分の指導力の限界を見せつけられることでもある。
医者が患者を自分の医療技術が乏しいために治療できないのと似ている。
できない子どもを前にして、時には、発達段階を無視して、その子どもに無理なことまでさせようとする。
だれにでも経験がある。
つまるところ、子どもを変えるためには、先生自身が変わらなければいけないことに気づく。
先生の経験年数によって、指導力、授業力が違っていなければならない。
わかっていても実際は難しい。