教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 787回 子どもの観察は教師を丸裸にする

子どもは、先生の机のまわりに寄ってきます。
「先生、好きな食べ物は」「好きな歌手は」「先生、子どもいるの」
とりとめのない質問をしてきます。
子どもたちが先生を観察しているのです。


先生は、子どもたちが寄ってくれるのでなんとなく気持ちのいいものです。
気を良くして、自分から子どもたちの遊びのなかに入っていきます。
出会って日の浅いうちは、子どもたちは、先生を歓迎していません。
だからといって、断るわけにはいきません。
担任の先生だからです。


先生は、子どもたちと遊んでいるうちに、子どもと少しは親しくなったように感じます。
しかし、遊んでいる子どもの鋭い人間観察は、その先生を丸裸にしてしまいます。
子どもたちが先生に気を許していない時の遊びは、先生の人間観察です。子どもはあらゆる角度から観察します。
しかも、それぞれの立場で観察します。
学習のできる子、いじめられっ子、孤立した子・・・など。


子どもたちは、敬語なしで話しかけたり、無失礼なことを言ったりします。
ところが、先生は、そのことを自分に近づいてくれた、心を開いてくれたと勘違いします。
実に勘違いする先生が多いのです。(先生のうぬぼれ)
そのような先生は、授業中にギャグを連発します。
下品なことを会話にいれることもあります。
子どもを「お前」呼ばわりして、召使いのようにこき使う先生もおられます。


子どもは、相手が権力をもっているから従うだけです。
本当は、つまらない先生にあきれているものです。
子どもたちは、先生に一年間、仕方なくつきあっているだけです。
いや、そんなことはないと言われる先生もおられるでしょう。
子どもは大人が考えている以上に賢いものです。

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