教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 786回 学習で信頼を得ないうちは 子どもと遊ばない

最近、暑さのせいで運動場で遊ぶ子どもたちが少なくなっています。
熱中症で児童が倒れたという話を近くの学校で聞きました。
4月の初めの一週間、運動場で子どもたちと遊ぶ先生を見かけます。
先生は、子どもたちと仲良くなりたいために自ら運動場に足を運びます。
その気もちはよくわかります。


先生方は、子どもたちと気心を通わせようと子どもたちの遊びの輪に入ります。
出会ったばかりの子ども集団に参加します。
2,3日ぐらいは、子どもたちも新鮮なのでつき合います。
しかし、一週間も過ぎると、子どもは先生から離れていきます。
先生が主導権を握っている遊びは、子どもたちにとってはつまらないですね。
子どもたちだけで遊んだほうが楽しいのです。
でも、悲しいかな、先生は、子どもたちと遊んでやっているという気持ちを持ちます。


一方において、休憩時間に一人教室に残って、次時の授業の準備をされている先生がいます。
子どもたちとは、遊んでいる様子はありません。
もちろん、そんな先生を見て、子どもたちも誘いません。


上の二つの例を挙げましたが、子どもはどちらの先生に惹かれるでしょうか。
表面的には、子どもと一緒にいる先生に惹かれているように見えます。
子どもを遊びで引き付けようとする先生。
子どもを学習において引き付けようとする先生
遊びで子どもと仲良くなろうとする先生。
授業で子どもと仲良くなろうとする先生。


言うまでもなく授業において、子どもを魅了する先生が子どもとの心の距離は小さくなります。
子どもにとって、一緒に遊ぶことが楽しくても、授業になったらつまらないと思えるようでは、子どもたちは先生から離れていきます。


授業の準備のための研究熱心な先生を子どもたちは尊敬します。
授業がつまらないのに、わからないことを責められたり多くの宿題をだされたりすると、先生から離れていきます。


勉強で子どもを魅了すると、子どもたちの方から「先生、遊びませんか」と誘ってきます。
子どもたちは、尊敬する先生に心を寄せ始めると、いろいろなことを共有したいと思えるようになるから不思議ですね。

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