教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 784回  子どもたちの「声なき声」

「今、学期が終わりました。振り返って、どのくらいの手ごたえをもっていますか」
このように質問されたら、どう答えるか。


子どもたちも静かに授業にのぞむようになった。
宿題を忘れる子が少なくなった。
発表できる子どもが多くなった。
友だちに少しは優しく振舞うようになってきた。
けんかが少なくなった。
いじめがなくなった。
子ども同士がお互いに支え合えるようになった。


私は質問する。
「先生方は、この一年間で、4月に出会った子どもを3月の末には、どのような子どもになってほしいのですか。」
「宿題ができる子が一年間の目標ですか」


多くの先生は、具体的に答えられない。
目先の事実を変えることばかりに力を注いでおられる先生もいる。
 ある先生が
「子どもたちは、私の授業が楽しいと言ってくれました。うれしかったです」
私は「すべての子どもが楽しいと言ったのですか。」と質問する。
「一部の子どもです。挙手して活発に学習に参加する子どもたちです。」
そう、親衛隊の子どもたちが楽しいといってくれるにすぎない。


先生は、ひとりよがりになることが多い
気付いてみると、「私が子どもたちを成長させた、できるようにした」という思い上がりをもつようになる。
先生の机の前に集まってくる子どもたちの声
「先生の学級になってよかった」「先生に教えてもらって楽しいよ」・・・。
机の前に近寄れない子どもたちの声はどうだろうか。
先生の前に集まっている友だちを遠くから眺めている子どもがいる。
先生は机の前の子どもと話している時、その輪の向こうからこちらを見ている子どもの姿を捉える必要がある。
そこに先生が指導すべき、関わるべき子どもがいる。


先生が独断に陥らない方法は
子どもたちの「声なき声」を聞く耳をもつことである。
先生に、直接話せない子どもたちである。
子どもたちの「声なき声」はどこで聞けるのか。
日記指導において、それぞれの子どもの感じ方がわかる。
一端がわかるのであってすべてがわかるわけではないが。


子どもから友だちの話として入ってくる声もある。
保護者の「家では学校のことを○○のように話しています」という声。
他の先生からの子どもについての情報。


そして、子どもに対する気配り。
登校時の子どもの表情 明暗。
給食時の食欲 昨日と比較。
学習の時の姿勢 背筋の様子。
休憩時間の子ども表情 憂鬱 快活。


さらに、保護者の言葉は貴重である。
それがすべて正しいとは限らないが、謙虚に受け止める。
子どもの成長を願っていない保護者はいない。
子どもは保護者の願いを背負って(従順・反発)登校してくる。
そして、常に、
先生と保護者の間で悩んでいることも多い。
先生と保護者の考え方に大きく違いがある場合である。
ところで、子どもはどちらにちかづいていますか?
保護者側 先生側 ?

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