教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 782回  ICT教育 機器を使うことが目的化

子どもたち一人ひとりにタブレットが与えられている授業風景。
子どもたちは、自分の考えをダフレットに書き込む。
先生はタブレットの画面上で、子どもたちの考えを把握できるようになっている。
先生は、タブレットに集中。
授業後の先生の感想。
「一人ひとりの考えを把握できていいです。」
先生がはほとんど子どもに目を向けることはなったとい。


さて、ここに疑問をもつ。
先生の眼差しは、タブレットの画面上にあって、生身の子どもにはそそがれていない。
子どもたちがどのような表情、姿勢で書きこんでいるかが大切である。
さらに、タブレットに書き込まれた子どもの考えだけではわからないことが、子どもたちの表情にある。


文字を打つことは子どもによって大きな差がある。
うまく自分の考えを表現できない子もいる。
ノートなら、表現手段において子どもによって差がない。


ある4年生の学級の授業。(現場の先生が教えてくれたこと)
子どもたちは、たどたどしいが、タブレットに文字を打っている。
先生は、自分のダフレット上で確認しながら、一人ひとりに書いたことを発表させている。
「次は何々君」と指名して発言させている。
先生は、発表している子どもをみていない。
タブレットから目が離れていない。
それを参観した先生は
「子どもと先生、子ども同士のふれあいがない。先生は、機械的に授業を進めているたけ。教育機器を活用することが目的化している。」


研修でITCを生かした授業研究をすることになったそうである。
その時に、算数のどの単元なら、スクリーンやダフレットを生かすことができるかという課題であった。
そのための算数の単元を先に考えたそうだ。
その結果、図形関係が学習が適しているということになった。
算数、図形の単元で、どのような力をつけたらよいのかではなく、教育機器をどのように活用するかが優先されたということである。


「ICT教育で使用するITツールによって、画像や動画を活用したわかりやすい授業を行うことができる教員からの一方通行の授業ではなく、タブレットを使っての主体的、協同的な授業ができることも生徒の学習に対するモチベーションを高める。」(文科省)


「教員からの一方通行の授業」???
先生方は、そうでない授業を実践してきている。
動画の提示の仕方によっては、さらに、一方的な授業になりうる。
主体的、協同的授業は、歴史的においても過去においても実践されている。
その問題点が明確に批判されていなまま、ITツールを活用したら授業がバラ色になるような印象を与えている。


私だけの杞憂なのかもしれないが、教育の本質からますます遠ざかっていくように思える。
ただ、情報が優先される社会において、そのための技術や考え方については、指導することは大切である。

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