教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 779回  国語 ひとり勉強  予習段階

主体的に学ぶ子どもたちの育成
どの学校にも理念としてあげられている。
横文字になって、アクティブラーニングという言葉がよく使われている。
教育方法を横文字にすることで、あたかも新しい教育であるかのような錯覚をおこさせる。


教育において、言葉が変わっても、主体的な学びができる子どもを育てることに変わらない。
国語の学び一つとっても、その学び方は大きく変わらない。
学び方を考えるとき、試案➡実践➡省察を繰り返して、先生なりの学ばせ方をつくる。
理論家ではなく実践家としての振る舞いである。


国語学習の主体的な学びの例
予習段階
① 題から内容を想像してノートに書く。(題名想起)
② 一回目の読み
・読めない漢字、新出漢字を〇でかこむ。
・事典で引いて調べる。
・わからない言葉に線を引く。
・まず、自分で想像してみる。
 ➡すぐに人に尋ねるのではなく、自分なりに意味を想像することが大切。
   漢字をもとにして  今までの経験をもとにして  
言葉の上下の文をもとにして
  ・一番あとに辞典で確かめる。
 ※私たち大人でも読書するとき、文脈から意味を考えることが多い。
  どうしも考えづらい時だけ辞書を引く。


③ 二回目の読み
・どんなことが書かれているかあらすじをつかむ。
・今までの文と比べる。(共通点、相違点)
・感想文を書く。
・手引きにしたがって学習する。


以上これだけのことが、子どもが独力で取り組む学びである。
説明文、物語文との違いから学び方も違ってくるが、予習段階ではほとんど共通している。


上のような学習課題をいきなり家庭学習にしない。
授業のなかで、一つ一つ丁寧に指導する。
子どもの能力に応じて、学びの量を調節する。
一律に「これだけのことをしなさい」と言わないようにする。
子どもたちを手放すとき、独りでできる力を育てているかが大切である。


学び方を指導するとき、先生は、自分で勝手に目標基準を設定してしまう。
そして、その枠組みのなかに子どもを追いやることがある。
目標基準は、それぞれの子どもの中にある。
その子がどこまで一人でできるかを、寄り添って把握することから指導が始まる。

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