教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 766回  先生の話し方 今一度 振り返る

先生と生徒が教育的実践を通して、共に学び合う、励まし合うことが大切。
この言葉は実践者の戒めでもある。
先生も子どもたちも自分を育てようとする意欲に満ち溢れている。
子どもたちに頑張れと指示して、先生が動かないのではない。
先生は、常に、自分を育てていく気持ちが必要である。
そんなことは、昔から言い尽くされてきた。


にもかかわらず、そのことを実行されているとは思えない。
その理由は、教育は、いつも掛け声に始まり掛け声で終わっているためだ。
自分を育てると言っても、具体的に先生は何をしているのだろうか。
どんなことでもいいと思う
自分で実行可能なことでいい。
そのことが子どもたちの前に立つための自信につながればいい。


たとえば、話すことを例にとる。
言葉を音声化し、音読、朗読が上手にできるようになる。
挨拶、言葉かけをするとき、誰にでも笑顔で対応できる。
家人、近所の人たちとの挨拶で練習すればいい。


間合いの練習、落語を聞いて参考にする。
声の調子、抑揚、間合いなどを勉強するのに役立つ。
テレビのアナウンサーの言葉を聞いて、問題点を見つけることも大切。
ドラマの対話的なせりふの間合いを研究してみるのもよい。


先生方は、国語の教科書を指導するとき、自分でその作品を何回ぐらい音読練習しているか。
教科書を手から離せるぐらい読んでみられたらどうだろうか。
すると、今まで見えなかった子どもが見えるようになる。


先生は子どもたちに話すとき、
何通りの声色をだせるか。
何通りの速さで話すことができるか。
トーンの大きさはどうか。
私は、最初の頃は、口の開け方が小さかったので、子どもたちに聞き直されることがあった。
そのため、ゆっくりと話すことを心がけた。
ゆっくりとは、間合いをしっかりととることも含む。


今のテレビのタレントの話し方は機関銃のようである。
はやくす話すことがステイタスとでも思っているかのように。
聞き手を無視したかのように話される人もいる。
しかし、子どもたちの前では通じない。


先生の話し方は、子どもの心をとらえる架け橋になる。
運動場から聞こえてくる声は、いつも同じ調子で声を張り上げているだけ。
これでは、聞く子どもたちも鈍感になる。
先生の言葉は、子どもたちを育てる大きな教育環境である。

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