教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 746回  一年間で減っていくのが 学級のきまり

学級のきまりがつくられている。
今の時期、どれだけの数のきまりがつくられているだろうか。
きまりをつくるとき、二つの問題点がある。
一つは、それらのきまりが主に誰の手によってつくられたものか。
二つは、学級のきまりは、月日を追うごとに増えるのか減るのか
この二点について考える。


「給食中は静かに食べなさい。」先生の指示。
今はコロナ禍にあっては、強制する必要があるだろう。
しかし、それがなければどうすればいいのか。


子どもたちが給食をしていて、不愉快に感じたことを出し合うことから始まる。
話すのはいいけど、大声はちょっといや。
立ち歩くのも落ち着かない。
早く食べ終えた人の行動が遅い自分を責めているような感じ。


子どもたち一人ひとりが心地よく生活したいという願いが最初にある。
そこから話し合いが始まる。
やがて、お互いが納得できる最低限のきまりがつくられる。
その他、学級の用具の使い方、雨の日の過ごし方なども含まれる。


学級のきまりを求める基盤は、一人ひとりの子どもたちの願いが出発点である。
決して、先生が初めにありきではない。
もちろん、安全上の問題で先生が決めなければならない時もある。
しかし、それについては、子どもたちを十分に納得させる必要がある。
最後の判断は、子どもたちに任せる必要がある。


自分たちがきまりをつくるのは、自分たちの学校生活の快適性を維持するための手段である。
地域社会も同じである。
子どもたちに
公共意識を育てるきっかけになる。


4月に先生は、子どもたちに多くのきまりを提示する。
子どもたちをしばるきまりもある。
管理することが狙いだという先生もいる。
しかし、そのきまりは、一年間、解除されることはないのだろうか。


子どもたちが成長すると、一年間できまりが減っていくのではないか。
反対にきまりが何倍も膨れ上がる学級がある。
そして、学年末が終わる。
子どもたちが育ちましたと言われるが、きまりで縛ったにすぎない。


きまりは、子どもたちがつくりだすものである。
しかし、その過程において、先生の指導助言が必要である
きっかけはつくっても最終判断は子どもに任せる。
子どもたちが自分の意思で決めたように思わせることも大切。
子どもたち一人ひとりに責任を持たせるためである。

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