教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 741回  理科 播種、発根、重い土を押しのけて 発芽

各学年とも、植物や野菜の種まきの学習があります。
そして、種をまいて、発芽してから観察記録が始まります。
土の上に発芽してから理科学習、観察が始まります。


植物を育てる学習は、命を育む学習です。
それは、点でとらえられるものではありません。
命のすべての現象は連続しています。
点ではなく線としてとらえます。


低学年の子どもは、種を命としてとらえています。
「さあ、アサガオの種を配ります。種はアサガオの赤ちゃんですよ」
と言って、子どもたち一人ひとりの手の上にのせてあげます。
この時の子どもたちの表情は面白いです。
種を赤ちゃんとして、命としてとらえることで大事にしています。


種を土にのせます。
そして、土をかぶせます。
真っ暗な世界がおとずれます。
低学年なら種の気持ちになって言葉に表せるようにします。


中学年以上なら、土の中の見えない様子(根の張り出し)を記録させます。
そして、発芽する日を予想しながら観察を続けます。
あの重い土をどのようにして持ち上げてくるのか。
土の重さにつぶされないだろうか。


眼に見えないものを種の立場で記録すると、自然に子どもたちは植物に寄り添っていきます。
人間の赤ちゃんは、一日たりとも目を離されることがありません。
にもかかわらず、種、そして、発芽・・・観察は一週間に理科の時間だけ。
何かおかしいですね。
命から目をはなすことなく観察させたいものです。


播種してから発芽までの観察記録があってもいいのではないでしょうか。

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