教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 722回 アンテナを張る 子どもたち

担任紹介のあと、教室に入る。
この時は、先生も子どもたちもなんとも言えない新鮮な気持ちになる。
わくわく感とほどよい緊張感がわく。
お互いによく知らない者同士のお見合いのような。


子どもたちは「どんな先生かな」と不安と期待をもって先生を注視する。
子どもは先生の言葉や何気ない振舞いの中に先生の人間性を瞬時に判断する。
やさしいかな、おもしろいかなと感性のアンテナをはる。


先生の服装、センス、歩き方、言葉づかい、表情の変化などすべてを目に入れる。
私などは、どうしても少しはよく見せようとするが、すぐにぼろがでる。
でも、私は私であり、私でしかないわけだから・・・。


教室に入ると
子ども一人ひとりが先生と視線を合わせようとする。
先生の視界のなかに入ろうとする。
自分は先生に意識されている、意識の中に入っているかどうかを確かめる。
先生と視線が少しでも合うとうれしそうにする。


前に立って、子どもたちに話しかけるときは、一人ひとりを目の中に入れる。
あの子と目でコンタクトができたという思いが必要。
これは結構難しい。
眼玉の数を増やしたいものだ。
左右両隅の子どもを落としてしまう。


言葉で語るのではなく、まなざしをもって対話する。
言葉ではなく目で気持ちを伝える。
一人ひとりの子どもたちに「いい子だね」「よろしく」という気持ちを目で語る。
事前に子どもたち情報がインプットされていると、子どもを色をつけてみてしまう。


先生と視線が合うと、さっと視線を外す子どもがいる。
はずかしがりやの子ども。
圧迫感を感じる子。
でも、目を合わせてほしいという気持ちを持っている。
相手が目をはずしてもじっと視線を送る。
すると、また、子どもの方から視線を送ってくる。


子どもなりに今まで先生たちに不満を持ってきた子がいる。
希望を失っている子どもである。
しかし、本当は、他の子ども以上にかまってもらいたい子である。
先生の気配り、配慮を渇望している子どもたち。
前学年で、蚊帳の外に置かれた子どもたちほど強く新しい先生を意識する。
子どもは思う。
「今度の先生は違うぞ」(これは子どもの期待感からくる)



「先生、先生」と声をかけて寄ってくるのは先生という肩書きがあるからだ。
その肩書きをとってしまえば、ただのおじさん、おにいさん、お姉さん。
子どもたちは、先生の肩書きに近づくのではなく、その肩書きに隠されている人間、人柄に心を引かれる。


4月は、先生にとって子どもの観察期間だが、子どもにとっては、先生のお試し期間
子どもたちは、一年間、自分の役に立つのか、自分の味方になってくれるのかを確かめるために、先生を注意深く探る。


先生は、30人の子どもたちのまなざしにさらされています。
やがて、一週間ほどたつと、子どもたちは、家に帰って親に話す。
「ねえ、おかあさん、今度の先生はねえ・・・」
このあとは、最初の家庭訪問で、先生の印象を聞いてみる。
よい印象を持った子どもの保護者の顔は明るく好意的である。


子どもとの生活開始一週間、子どもと眼差しを共有できる機会を増やす。

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