教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 719回  臨時講師の先生 応援しています

私の知っている学校には、担任をしている先生が12人います。
そのうち、臨時講師が4人います。
その先生のお話を伺う機会がありました。


今まで担任を持たせてもらって、授業を通して子どもたちと関わることが楽しかったそうです。
ところが、新年度、学校の教員配置の都合上、なかよし学級を持つように言われたそうです。
本人は、新年度も学級担任になり授業を通して子どもたちと接するつもりでした。
ですから、なかよしの学級の担任に校長から言われたことがショックだったようです。
ショックの原因は、なかよし学級のことではなく、それを指示した校長先生の言葉だったようです。


「あなたは、臨時講師として配置されているのだから、学校の補助としての役割を果たしなさい。
なかよしの先生が退職されるので、その代わりを担当してください。」
その先生は、普通学級で授業の勉強を深めたいと言ったそうです。
しかし、校長は、その先生が臨時であることを強調して、学校長の指示に従いなさいと強く話したようです。
その時、改めて、他の先生との立場の違いを意識させられたとのことです。


臨時講師は、どの学校にもおられます。
一年だけの方、3年以上おられる方、さまざまです。
しかし、所詮は、学校運営の立場からみると、便利屋なのです。
職員のなかにも臨時講師であることを見下している先生もおられました。


他の先生と同じように、学級担任で授業を通して学習指導をしておられることには変わりありません。
私は、今まで、臨時講師であるないに関わらず、すてきな実践をされた先生を多く知っています。
むしろ講師の先生の方が一生懸命だと感じていました。


講師の先生は、常に、実績を委員会や学校長から厳しく評価されます。
だめだったら採用しなくていいのです。
講師の先生にとっては、来年、使ってもらえるかが不安です。
だから、実践がすべてなのです。
子どもの前では教員の立場は関係ありません。


正規の先生は、次年度も自然にやってくるので安心しておられますが、講師の先生は、常に、不安を抱えておられます。


私は、いつも応援しています。
指導力、実践力一本で各学校を渡り歩くしかありません。

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