教育随想 718回 教育 昭和の輝き 平成の衰退
かつて、私の師匠よりうかがった話です。
昭和20年代、敗戦のショックで世の中は混沌としていた時です。
立ち直ろうと国民が必至になっていた時代です。
教育界もほとんどの教員は、子どもたちのために必死に頑張っていました。
都市では、午前、午後の二部制の授業が行われていました。
田舎でも昼食を持参できない疎開の子どもが何人もいました。
先生も地元の人々も彼らを支援していました。
将来に夢をもって学校は生き生きしていたとのことです。
ところが、昭和から平成にうつり、「子どもたちの健全育成を心がける」教員よりも「自分自身の立身出世を考える」と転身する教員が増えてきました。
各学校において、一生けん命努力する先生が、偏屈者扱いにされることもありました。
みんな一緒に足並みをそろえることばかりに価値が置かれることもありました。
そのなかで夢をもって教職についた若い先生は、やめていく方もおられました。
本来の教育に精をだす教員は 子どもが好きである。
教育は、本来、社会の裏側、底辺に徹する仕事である。
教育に携わることに誇りをもっている。
子どもたちから学び得ようとする姿勢をもっている。
このような先生が、教育界から「のけ者」「笑いもの」にされることもありました。
個性豊かな子どもをめざしながら、教員世界は、先生の個性を認めないこともありました。
掲示はそろえようね。
板書もそろえようね。
保護者から不満がでないようにしましょう。
いつか、学校は、自浄作用がなくなり、保護者や地域の視線を気にすることも多くなりました。
学校反省と称して、地域や保護者の代表を交えて会議を開く学校もあります。
学校は、こんな子どもを育てるために、このような教育活動をするという明確な方針を示さないこともありました。
外部の意見に左右される学校も多くなってきています。
もちろん、そうでない教員、学校もあります。
学校の独自性、教員の独自性が保証され、お互いの実践をサポートしあうことが必要だと考えます。
お互いの実践を認めあうことから始まる学校。
難しいのでしょうね。
そこには、保身、嫉妬、妬みが流れている。