教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 716回  花びらを マスクで包む少女

街を歩いているときです。
一人の就学前の女の子が地面に腰を下ろしています。
何をしているか不思議に思い様子を見守ることにしました。


自分のマスクを道路の上に広げています。
その上にピンク色の花びらをマスクにのせようとしていました。
大切に花びらを包み込もうとしています。
やがて、マスクの両端のひもをとって、かごのようにぶらさげて歩き出しました。


女の子が向かう先に、おばあさんが待っておられました。
孫を見守っているのでしょう。
マスクにのせた花びらを見て、おばあさんは女の子に声をかけました。
「何してるのよ。きたないでしょ、マスクを使ったらだめじゃない」
顔をしかめて女の子に注意をされました。


女の子は、自分の見つけた花に心を動かしたのです。
その花をおばあさんに見せたくてマスクにのせたのでしょう。
でも、自分が花に出会った気持ちは理解されなかったようです。。
見えるものに心がとらわれて、子どもの見えない心をみることができなかったおばあさん。
このような事例は、街を歩いていると親子の会話のなかにしばしば見受けられます。


大人は、子どもを育てなければならないと考えます。
指示、注意、助言、叱責をすることも多いです。
しかし、それは子どもたちの表面的な行動のみをとらえて言われることが多いです。
どうしても上から目線になってしまいます。
子どもの目線にまでおりて、子どもがどんなことに心が奪われているかを感じとることの大切さ。


しかし、これが意外と難しいです。
大人はかつて同じ子どもの時代があったはずです。
大人になることは、子ども時代を忘れることなのかもしれないですね。


私は、子ども時代、いたずらをして、親が学校に呼び出されていたことが思いだされます。
学校の先生にとっては、担任に懐かない子ども、生徒の一人でした。
先生が嫌いだったからです。
建前ばかりを押し付ける先生の指示が子ども心に拒否していたようです。

×

非ログインユーザーとして返信する