教育随想 715回 先生の 二つ目遣い
宮本武蔵の「五輪書」の中に立ち会う時の眼の動きについて書かれた一節があります。
「囲まれた敵を見るのに、見るようにしては見ず、見ないようにして見て、合間合間に油断なく、盗み見ることである」
これは、私が授業の時に、たえず意識してきた眼の使い方です。
子どもを見ているが、その視点を固定しないようにします。
子どもと眼が合いそうになったら、眼をはなします。
子どもたちは、先生と視線を合わせたい子もいるが、そうでない子の方が多いです。
先生と眼が合うと、緊張するからです。
もちろん、意識して、その子の様子に眼をとめることはあります。
しかし、子どもたちの表情を察知するときは、眼をとめないようにします。
学級崩壊を起こした子どもたちと出会った時は、眼を合わさないようにします。
眼があうと、子どもは「俺のことを監視しているんだな」と思うようです。
見ないようにして見る時は、眼球を固定したまま、両端の子どもを視界に入れます。
発表する子どもの話を聞くときは、その子と目を合わせながら周囲の子を視界の中に入れます。
どのような姿勢で子どもたちがその子の発表に耳を傾けているかを察知します。
先生が教室の前面中央に立つとき、眼球を固定していても、両端の子どもが視界に入る位置に立つことを心がけます。
少し意識していくうちにできるようになるものです。
眼の開き具合について
眼玉をむきだしにしない。
大きく見開いて子どもを見ない。
威圧することになる。
できれば、細目にするとやさしさが子どもに伝わります。
もちろん、笑みを浮かべると良いこともあります。
その反面、子どもたちの話し合いを聞いているときは、眼球を動かさないようにします。
能面のごとく静かな表情を保ちます。
子どもの発言に反応しません。
子どもたちが自分の発表の評価を先生の表情に求めているからです。
一人の子どもの考えに大きくうなずいてしまうと、反対の子どもの考えが出なくなることがあります。