教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 711回 子どもは 授業者の教え 以外のことを習得

先生は、授業において教科指導をする。
ところが、先生が教室で授業を行っているときに、先生の意図しないことのほうが、子どもたちは習得しているようだ。


私は、かつて3年生の授業を参観したことがある。
30代ぐらいの女の先生であった。
社会科の授業をしておられた。
教室に入らせてもらった時、教室は和やかで柔らかい空気に包まれていた。
なんだろう、この空気は、どこから来るのだろうと思った。
指導者の姿、そのものから流れていた。


やさしい穏やかな眼差し。
微笑みが絶えない口元。
子どもたちを見る穏やかな視線は、子どもたちが本当に好きなんだと感じさせた。
正直、私は、自分との違いにショックを受けたことが記憶に残っている。


子どもたちの先生を見る表情は優しくて明るい。
学習指導は、滞ることがあり、先生の迷いがのぞいた。
しかし、子どもたちは、先生の意図しないものを歓迎していたように思う。


その反対の例もある。
やはり、女の先生である。(男女関係ないので)
入室するなり硬い空気が流れていた。
先生の指導助言は適切であった。
子どもの発言をうまく構成していた。
しかし、眼差しが厳しすぎる。
参観者から見ても、少しばかりの威圧感があった。
子どもたちの表情は厳しい。
発言のたびに先生をチラ見している。
どこかで先生を恐れているようだ。


授業において、指導者の意図しないことを子どもたちは学ぶ。
要領の得ない話し方。
句読点のないだらだらした話し方。
身振り手振りの不適切さ。
歩くときの足音。
その他、諸々のことが学習する子どもたちに影響を与えている。
子どもたちは、先生に好感をもつと、歩き方まで似てくる。
話し方や身振りもまねていることもある。
少々、こわい気がする。

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