教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 704回 教育雑談 先生の前だけ 学校内だけの自立

ある学校の風景。
劇場に子どもたちを引率して出かける。
劇場に行きつくまでは、
「歩き方、無言、よそ見しない、列の等間隔、信号での待ち方・・・」
子どもたちは、電車のなか、駅構内においても整然と行動している。


ところが、劇場に入った着席した途端、子どもたちは自由行動を開始。
声高なしゃべり声、立って歩く、ふざける・・・。
開演されてからもふざけている子どもの姿。
上演者を揶揄する声。
引率の先生は放任している。
あとで、劇を主催された方が市教委に電話したそうです。
「見ようとする気持ちのない子を無理に連れてこないように」と苦情が伝えられる。


劇場に到着するまでは、世間の人々の眼にさらされているので厳しく行動を規制したそうです。
劇場の中も世間の人々だと思うのだが・・・。


森林公園で子どもたちに弁当を食べさせるために解散する前の注意
いろいろ細かく注意しておられる。
しかし、その指導者の視線は、行き交う人々を追っている。
ここでも世間を気にしている。


電車内でにぎやかな小学生に出会う。
ぶさけたり踊ったりしている。
先生はどこにいるのだろう。
探してみると、それらしき先生が子どもたちの集団から少し離れたところにいる。
この先生は、子ともたちを指導できないで手をやいているのだろうか。


学校内の指導は、外に向かって効果を発揮する
子どもたちが学校を離れてからの行動こそが、学校教育の成果が問われている。
このことは家庭教育でも同じ。
母親がわかママ言う子どもに対して
「いつも言ってるでしょ。まわりの人に迷惑をかけないで」
この言葉は、子どもに向けてではなく、周りの大人たちへのメッセージになる。


学校の指導のすべてがうまくいくわけはない。
指導したつもりでも子どもたちに浸透していないこともある。
地域から子どもたちの苦情の電話があると、決まって先生が応対する言葉。
「学校では日々指導しています。」
あれ? 指導できていないから問題がおきているはずでは。
指導が行き届かなくて申し訳ありません。再度、指導します。」が本来の答えではないかな。

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