教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想  703回 若い先生「どうしたらいいてすか」を問う前に

若い先生は、その若さだけで子どもたちが近づいてくる。
うらやましい限りである。
新しい担任が若い先生であると子どもたちの表情は明るい。


若さは、教育技術よりも大きな力になる。
少しぐらい失敗も「先生大丈夫だよ」ときにしない子どもたち。
そんな若い先生が質問されることの共通性。


「どのような方法があるのですか」「どうしたらいいですか」
手段ばかりが意識の中にある。
わからないのは当たり前である。
ハウツーを求めるのは当然である。


ただ、その前に考えることがある。
私は、尋ねる。
「あなたは、子どもたちの何を育てたいのですか」
「この教材で、どのような子どもになってほしいのですか」
方法が先ではなく、目標が先にある。
それは、教育目標、さらに、教材目標とつながっていく。


「どのような子どもに育てたいてすか」
教育の一番大きな目標を考える。
めざす人間目標、人間像である。
そして、国語で、理科で、社会科で・・・・・どのような子どもを育てたいのかを考える。
今一度、文科省の指導書を読み直す。


少し難しく言うと、教育哲学が根底にある。
そのうえに、教科教育の原理があり、教科教育法がある。
悲しいことに、書店では、教育原理に関する書籍は姿を消した。
それに代わって、教育方法、ハウツーものが書棚を占拠している。


「一週間で変わる」「すくに効果がでる教育技術」などなど。
困っているとすぐに飛びつきたくなる。
しかし、書籍に書かれている技術は、著者が子どもたちを前にして考案されたことが多い。
だから、若い先生も、まず、子どもたちの前で悩む。
そして、子どもの姿と教材の間で悩む。
悩むことが「子どもの前に立てる先生の資格」であるように思えてならない。


教育技術は、そのあとにいくらでもついてくる。

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