教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 700回 寺に祈りがない 金銭のにおい

2つの寺を紹介する。
一つは、有名な寺で参拝客が多い。
各建物においては、拝観料と称してお金を徴収する。
そのなかで参拝客の方が、合格祈願はどこで参拝したらよいかを尋ねていた。
社務所のかたが横柄な受け答えをしていた。
その方は、子どもの合格祈願のために来ておられた。
大きな寺に参拝したいという気持ちでこられたようである。


私は、この寺に身体を入れたとき、金銭のにおいがした。
どこにも○○料という張り紙がある。
寺は、庶民の祈りの場である。
だれでも公平に受け入れるのが仏教である。


もう一つは、遠く離れたところにある寺である。
以前から参拝したかった場所である。
本当に大きな境内であった。
境内には四方の門があり、どこからでも自由に入ることができる。
参拝客もそれほど多くはない。
厳粛な空気が漂っていた。
ああ、仏教者のお寺だと感じた。
心地よい雰囲気が自然に私を落ち着かせていた。


本堂の中に入る。
入口に僧の方がおられた。
私は「おはようございます」と挨拶をした。
相手もていねいに挨拶をしてくださった。
私よりも明瞭な挨拶であった。


売店が見えたので入った。
私は、売店のお守りが先に目に入った。
すると、そこにおられた方が「おはようございます」と声を送ってこられた。
私は、その声を聞き逃してしまった。
すると、その方が、もう一度、大きな声で挨拶された。
私は、はっとさせられた。
その声には、相手の心を開かせる勢いがあったからだ。
挨拶とは、相手の心をひらくことである。
その方をよく見ると、若い僧であった。


私は、恥ずかしさと清々しさを抱いて売店を出る。
そこにいるだけで、そこの方と関わるだけで、背筋がぴんとするような寺であった。
教室も同じであると感じた。

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