教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 701回 教育雑談 先生の口癖 なんでもありの研究会

「宿題しなさい」「忘れ物はだめですよ」「廊下を走るな」を言い続けてきた学校教育。
「おしゃべり学習」が子どもの参加をもたらすと信じている世界。
「対話的学習」ともったいぶってみても、従来と同じ相談しあう学習。
対話は、対等な関係において成立するもの。


できない子どもがいれば、「やればできるよ」と言い放つ先生。
「やればできる世界」などは、ほとんどないことを認識させる方が有効ではないか。
やってもできないことのほうが多いことに気付かせるのが教育ではないか。


行儀の悪い子どもがいると「家庭のしつけがいけない」と責任転嫁される学校。
決して、私の指導がまちがっていましたとは言わない。
私などは、間違っていたことの方が多い。


先生にはリストラがない。
世間は、「大変ですね」と言いながら、心の奥では、先生は、リストラがないから気楽なものだと思っている方もおられる。


職員室では、お互いに「先生、先生」と言い合っている不思議さ。
子どもたちの前では許されることでも、外の世界ではおかしいですね。
時々、レストランで「先生・・」と呼び合って会話するのが聞こえてくると恥ずかしくなる。


先生の口癖「忙しい」「たいへんな仕事だ」
先生が特別忙しいわけではない。
救命医のように、本当に忙しくても黙々と仕事をされている。頭が下がる思いである。


教育研究会、授業研究会の場において司会者の言葉。
本日の授業をもとになんでもいいですから出してください」
「なんでもいい」研究会だったのか。
思わず質問したくなる。
前もって掲げている研究テーマについて検討するのではないのか。
何でもいいのであれば、授業を参観する必要がない。


この司会者の言葉を始まりとして
「あの子はどうだった」「目がどうだ」「何人発言していた」「大きな声だった」「手の挙げ具合が」
まるで観劇のあとのおしゃべり。
「よかった」「がんばっていた」「授業者はごくろうさんでした」
これでは、課題の追究も確認もないです。
この研究会のために、何週間も前から準備をしてきたという。
日々の授業ではしない授業の準備をして、参加した先生は活用できるのだろうか。
本日、無事にすんだので慰労会だそうです。
無事にすんだとは何を意味するのか。

×

非ログインユーザーとして返信する