教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 681回 科学から遠ざかる 理科学習

理科の学習がいい加減に行われているのは、今に始まったことではない。
教科学習を実施するとき、その教科の本質、特性を理解する。


理科が知識優先の学習になっている。
実験・観察は、はじめに答えありきの学習。
実験は確かめるための実験。
教科書と結果が違うと「本当は、教科書のような結果になるんだよ」と、先生の一言で終了。
子どもたちは、まとめとして結果だけを覚える。


科学的思考は、自分の経験や知識を総動員して、未知なるものに問いかけて、より正確かな知識を求める思考である。
そこで得られた科学的知識は、誰もが納得して誰もが検証できる知識である。


学習は、「なぜ」「不思議だ」という問いかけから始まる。
ところが、子どもの問いかけがないのに、教科書の課題を提示。
子どもにとっては、興味関心のない問いかけを与えられる。


子どもたちが事象に素直に出会う。
今までの経験や知識と違うと感じたときに感動がおこる。
問いかけ(ひっかかり)が始まる。
自問自答させることから科学はスタートする。


「冬の生き物」
「ころごろ寒いねえ。みんなの服も厚着になってきたね。」
「家では暖房を入れているね」と話す。
そして、視点を窓の外の生き物に移す。


「植物は、大丈夫かな。テントウムシ、この寒さで大丈夫かな」と問いかける。
黒板に「生き物=冬=死」という言葉を書く。
そこから子どもたちの問いかけを引き出す。
子ども自身が問いかけられるような、問いかけたくなるような状況にしていくことが大切である。


多くの問いかけ(疑問)を出す練習をする。
いくつ出せるかを競わせる
そのなかから問い(課題)ができる。
多く出された問いの中で、中心になるものを先生の助言のもとに決定する。


一学期のうちは、先生の課題決定権を強くする。
二学期から少しずつ子どもたちに決定権を譲る。
ただし、子どもの実態にあわせて無理をしない。


次に、課題をもとにして考えをめぐらす活動が始まる。 
予想は、直感や体験想起からでる。
予想とは、どのようにだせばよいかを指導。
当てずっぽう的なものも入る。
・たぶん、こうだろう。
・おそらくこうなるにちがいない。
・こうではないかな
・何となくこうなるような気がする。
・きっとこうかもしれない。
 この言葉を掲示して常時活用する。


ここで注意したいのは、予想が論理的でないという理由で排除しない。
 この予想の段階は、子どもたち一人一人の多様性を容認する。
「なんとなく」もしっかりと認める


 さらに、予想を次の段階に進める。
・たとえば、こういうことではないかな。
・もしもこうならば、このようになるはずだ。
・前にこういうことがあったから(見た・体験)
こうなるだろう。 などなど。
 理屈や理由の芽生えが見られるようになる。


 やがて、予想から仮説の段階になる。
これは高学年での指導になる。
すでに発見された法則などをもとにして、推理していく段階が仮説である。


 次に実験。
予想や仮説にもとづいているので、予想実験になる。
教科書の答えを確かめるためのものではない。
少なくとも子どもたちの予想の検証である。


実験がおもしろいのは、実験が示す事実が厳正なもので、これに対して、すべての子どもたちは認めるしかない時である。


実験が示した事実を考察。
どんなことがわかり、どんなことがまだわからないのか。
そこから新たな問いかけ
探究の理科ですね。
理科は、決して完結しないもの。(理科に限らないが)


このような科学的思考は、人生の中で必要な考え方である。
ぜひとも、子どもたちに身につけさせたい。
生きる力になる。

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