教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 69回 「ふだんの授業」を「いい授業」にするには  その4     

子どもの位置から教材を読む


指導計画がどうしても先生主導になりがちです。教材研究が進めば進むほど、あれもこれも教えたいという一方的な先生の欲が表れます。
これは仕方がないことです。子どもたちの知らないことを教えたいという先生の想いは当然ですね。


ところが、そうして授業をしてみると、何となく子どもたちを引っ張ってしまっているような気分になります。
弁当箱の中に調理した料理を全部詰め込んでしまうようなものです。
ボリュームがあるのですが、色のバランスは今一ですね。果たして、これだけの料理を子どもたちが食べられるかどうかあやしくなってきます。


子どもに弁当をつくるとき、子どもの好きなものを必ず入れます。
さらに、それほと好きではないけれど、栄養のバランスを考えるとこれは食べたほうがいいと調理する側から考えたものを入れます。
三つめは、これは子どもは食べたことがないけど、この食感、味に魅了されるかも、好きになるかもしれないと考えるものも入れてみます。


教材に視点を移します。


一時間の教材を目の前にしたとき、子どもがすぐに興味をもって飛びつく内容は何かを考えます。
子どもたちの興味関心のあるところは、教材の世界への入り口です。指導のはじめにあたるところです。
子どもたちにとっては、考えやすい、興味がわくところは何かを考えます。
これを指導の出発にます。(逆もありますが、ここでは差し控えます)



次に、子どもたちは、興味関心をそれほど示さないかもしれないが、教材の核として大切なところ、これだけは、省くわけにはいかないところを押さえます。
ここは、純粋に教材としての核にあたります。


最後に、子どもの関心もない、気づかないだろうが、それを知ってしまうと学習が断然おもしろくなるところを探します。
これは教材に隠れていることもありますし、先生が学習の世界の外から持ってくる場合もあります。


理科の生き物の学習が一学期に実施されています。。
ねらいから少しそれますが、食物連鎖の問題を入れてみるとおもしろいです。
「世界中の虫が、今、いっせいにいなくなったらどうなるでしょうか」
人間と虫のつながりを考える上でも、他人事ではなくなってくる内容です。
子どもたちには考えもしなかった問題ですが、子どもたちはわくわくして考えます。話し合わせるのもいいですね。


子どもたちを学習の世界に没入させるには、子どもの興味関心、教材の核を扱うだけではだめです。
最も大切なことは、三番目のことです。
教材において、子どもたちが気づかないところへ誘いこむことです。
「そうだったのか」「考えもしなかったなあ」「へえ、びっくりだ」などと子どもの声が聞こえてきます。


国語の読解指導では、子どもたちが独りで読んでわかるところだけを扱うと興味をなくします。
先生が質問責めにして作品を切り刻んでしまいます。これでは、独りでじっくりと読んだほうがおもしろいのです。
読解指導では、子ども自身が1人で読んでも気づかないところにスポットをあてて指導します。
そうすると読解指導は楽しいです。具体的には、回を変えてお話します。


社会の資料、グラフや写真の読みとりにおいては、子どもたちの気づかないことがとても多いです。それに気づかせる指導が必要です。
グラフでは、それぞれの数値を生活に結びつけて考えるようにします。
グラフには「その他」のところが必ずありますが、「その他」とは具体的に何かを追求すると今まで気づかなかったことがわかってきます。
もっと具体的に教材をあげたいのですが、回をおって書いていきます。


教材を前にして、子どもたちの気づかないところを見つけることを言いました。
導入が子どもの興味をもったところからだけでなく、子どもたちの気づかない入り口、視点から入るのもいいです。


それは、子どもたちがわかりやすいところから入るのがベストだとは限らないということです。お化け屋敷のように、進んでいくとなにがあるのだろうという教材の入り口もあります。


 今回は、教材を子どもの視点でとらえ直すということでした。
 次に続けます。

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