教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 652回  「わからなさ」を出しにくい 班学習

学習は、わからないことから出発するとよく言われています。
班のなかで、「わからない」と一人一人の子どもが言えるでしょうか。
全体学習と比べると、何か言いやすいように思われますが実際は違います。


班の一人ひとりが「ここがわからない」と言ったとしましょう。
わからない内容を班員は、平等に扱ってくれるでしょうか。
班にして言いやすい環境のはずが、お互いのわからなさに批判がてできます。
「そんなことがわからないの」
「今は、関係ないよ」
「わからないのは、あなたぐらいよ」
せっかくの発言、わからなさをはねつけられることもあります。
一笑されることもあります。
幼稚な意見として処理されることもあります。
できる子どものわからなさが取り上げられることが多いかもしれません。


これは、班員の人間関係の親密度によっても違ってきます。
先生は、班員の人間関係を把握する努力が必要ですね。


先生の介入。
わからなさを出し合うときは、先生が各班をまわって助言します。
班員のわからなさを平等に扱うように助言します。
班のなかの発言力の低い子の意見を取り上げるようにします。
「あなたのわからなさ、すてきだね。きっとみんなの役に立つよ」


わからなさをだしている友だちの発言に耳を傾けている班があります。
わからなさの内容を理解しようとして、お互いに質問しあう班もあります。
友だちのわからなさを大切に受け止める班もあります。


このような班の話し合いを発見します。
そして、他の班活動を止めて、特定の班の話し合いを参観させます。
班同士で、がお互いの班学習を参観しあいます。
特に、
好ましい班の活動を全体に紹介します。
これは、大変効果的な指導になります。


参観したあと、他の班の子どもたちに、よかった点を発表させます。
先生は、あまり話さないほうがいいです。
子どもの活動の長所は、子どもたちに発見させます。
子どもは、先生よりも友だちに認められるほうが嬉しいものです。

×

非ログインユーザーとして返信する