教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 650回 人間関係が露骨に表れる 小集団学習

小集団にして、人数を4人ぐらいにすると、多人数よりも子どもたちが話し合いに参加するだろうと考えがちです。
しかし、実際には、それほど差はありません。
能力の低い子どもや社会性の乏しい子どもは、主要メンバーになれません。
形式的に参加しているにすぎないこともあります。


小集団の全員が参加しているように見えても、目に見えないお互いの力関係がはたらいています。
能力の高い子の発言は優遇されていることがあります。
あまり発言しない子の考えを他の班員は尋ねますが、聞くだけに終わっていることがあります。


能力の高い子が「ぼくは、こう思うけれと゜みんなはどう思う」と尋ねます。
他の子どもたちは、その意見に従うかたちでの発言をします。
もちろん、いつもそうだとは限りません。


しかし、班の話し合いの様子を観察してみてください。
一人の子どもが発言しているときの他の子どもの眼差しに注意します。
受け入れようとする眼差しになっているか。
それとも、最初から批判的な眼差しになっているか。
要するに、班の子どもによって、その発言に最初から軽重があることです。
だから、周りの聞き方の姿勢が違っています。


そこで、次のようなことを実施します。
班でまとまったことを代表に言わせると、そこに至った経緯がわかりません。
だから、まとめさせません。


「班の話し合いの経過を発表してごらん」
「どのような意見から始まりましたか。」
「どのような違った意見がでましたか。」
「今、どんな考えにまとまろうとしていますか」
「それとも、対立していますか」
これらのことについて発表させます。


最もいけないのは
「班で話し合ってまとまったことを発表しなさい」です。
誰の考えが中心になってまとまったのか。
能力の高い子の発言が圧力になっていないか。
これらのことを注意深く観察することから始めます。


班の活動は、話し合いを含めて人間関係が露骨に表れます。

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