教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 614回 授業で育てる二つのこと

世相を反映して、多くのネット授業が行われました。
一人一人にパソコンを持たせてネット授業が行われました。
子どもたちに知識を伝えるだけなら、ネット授業もありです。
ただし、どれだけ子どもたちが学習意欲を膨らませるかはわかりません。


ネットを使って教えられるのなら、子どもたちを学校に来させる必要はありません。
それなのに、どうして、子どもたちを学校に来させるのでしょうか。
義務教育だからです。
義務で子どもたちは来ているのです。
先生は、それに対する責任は大きいですね。


学校は、子どもたちをどのように育てたいのでしょうか。
知識のみなら学校は必要ないかもしれません。
独学や塾で勉強すればいいことになります。


知識等の勉強を身につけさせるのは、短距離目標です。
教科ごとの学習内容の習得が目標です。
しかし、学校は、それ以上に、それに加えて、子どもを社会に送りだす人間に育てる必要があります。
社会の一員として、生きていくことができるように育てなければなりません。
よく、一人ひとりを見つめた教育と言われます。
「見つめた」とは、子どもたちが学校を去っても自力で生きていけることを意味します。


そのために、学校、学級、授業で育てる視点は二つです。


一つ目は、「集団のなかで自分を律することができるか」です。


仲間と共に生きることは、自分を場合によっては抑制することです。
わがままをコントロールすることです。
言いたいことを少し控えて、友だちの意見に耳を傾けることです。


二つ目です。
集団の中に自分を活かすことができるか


自分の力を仲間のために発揮できることです。
しっかりと自分の考えをだして、集団に寄与することです
これらの二つのことは、社会人としての生き方でもあります。
先生は、遠くに子どもたちの姿を見据えます。
そのために、今の学校教育を実践することが大切です。
その場しのぎの教育活動が多くなりました。
コロナ禍にあっては、それが目立っていました。


学校教育、そのなかでも、授業において、子どもの未来を思い描いて指導します。
集団から離れて、離しての教育実践はありえないです。

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