教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 613回 20代の先生 初心を大切に

経験年数が少ないと、周りの先輩からいろいろな指示、課題が出されます。
先生は、多くの場合、若い先生に教えすぎる傾向があります。
自分の持っている経験を押し付ける? 場合もあります。
もちろん、悪いことではありません。


自分なりに新しい実践を試みようとすると、周りからブレーキがかかることがあります。
「子どもはあまり反応しないよ」
「その考え方は少し無茶だよ」など。
いつも指摘される立場の若い先生はつらいですね。
初心
私は、初任の時の学年世話係の先生が、実践する自由を与えていただきました。
「あなたの好きなようにやってごらんなさい。」
「まず、自分でやってみて白黒をつけてごらん。」
「何か不都合なことがあったら私が責任を持ちます。」
私にとっては、とてもありがたい学年でした。
学年の演劇発表会もさせていただきました。
各教科の研究もサポートしていだたきました。


反対に、すべてのことをするのに、学年の世話係の許可がいる学年もありました。
ベテランの先生なので、それなりに自信を持っておられました。
新しい試みも必ずチェックされて却下されました。
息がつまりました。
学級の子どもたちがいる教室に上がるまでに、ストレスがたまることがありました。
さてさて、これはいけないと思いました。
子どもたちの前でエネルギーを使わなければなりません。
そこで、職員室では、従順な先生を演じました。(二重人格の必要性)
「わかりました」「これはいいてすか」「先生、すごいですね」の言葉の多用。
職員間で摩擦を起こさないことで、教室で授業に専念できます。


そんな私でしたが、一回だけ世話係に反抗しました。
理科の全国大会の授業者に2年目の私が指名されました。
世話係の意向です。
校内で、理科部会が何度も実施され、大会の授業案の検討が行われました。
そろそろ印刷の期限が迫ったころ、私は、世話係に言いました。
「先生は、自分の思った通りしてごらんと言いましたね。ところが、今ある指導案は、最初にしたいと思ったこととは全く違います。それならば、どうして先生がなさらないのですか。」と反論しました。
世話係の先生は、慌てられました。
私が、そこまで思っているとは考えていなかったようです。
研究大会の研究主任として、参観者によく見てもらおうという気持ちが職員全体に伝わっていました。


まあ、それでも、周りの先生になだめられて授業公開しました。
あとの研究会では、子どもたちの生き生きした表情が話題にのぼりました。
私は、心のなかで「よしよし」と思ったものです。
研究会は、子どもたちをみてもらうのが目的です。
誰かの、何かの名声を高めるためではありません。

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