教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 612回 20代の先生  技術よりも若さ

新任から20代後半までの先生についてお話します。
若い先生は、昔と違って、すぐに方法論、技術論を問題にします。
授業の指導案は、ネット社会において、お手軽に手に入れることができます。
同僚の先生に聞かなくても、こっそりと指導技術を身につけられます。


あるベテランの先生は「この頃の若い先生は、わからないことを聞かなくなったなあ」とおっしゃられていました。
このように感じておられる先生も多いです。
技術的なことなら、直接先輩に聞かなくてもネット検索で十分です。
書店に足を運べば、「・・・方式」の実践技術の本が書棚を埋めています。
反対に、先輩の先生に聞きたいと感じるのは、その先生の実践を目の当たりにしたときです。
「なぜ、こうなるのか」「いったいどういうことか」と、心を動かされるときです。


ハウツーものの教育書があふれています。
私の若い頃は、教育原論を読むことから始めました。
方法論よりも教育原論です。
教科教育の原論をあさりました。


若い時は、ベテランの先生の実践を見ると、自分が劣っているような気がするときがあります。
しかし、そうではないのです。
20代の先生の子どもに立ち向かう武器は何だと思いますか。
一つは、子どもと年令差が小さいことです。
子どもは、先生が若いというだけで、兄や姉のように親しみをもって近づいてきます。
年令的にみても、子どもたちにとっては親近感があります。
技術、技法、教授法を無視しても、子どもたちを引っぱる力があります。
子どもと一緒になって、勉強している姿はパワーがあります。
これは、ベテランの先生にはできません。


ところが今時の若い先生を見ていると、若さが乏しいように感じます。
子どもの前で腕組みをして指導されている先生をみると、ベテランのような雰囲気を感じます。


若い先生は、子どもと共感し合える近い存在です。
喜びも悲しみも共に共有できる間柄です。
技術は、子どもと近くなったら、あとで生まれてきます。
目の前の子どもの悩みに共感することで、指導方法が生まれます。

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