教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 611回 学級にコロナ発生 リモート授業?

先週の月曜日にある学校でコロナが発生しました。
一人の子どもの家族がコロナにかかり、家族に広がったということです。
その家から子どもが二人、登校していました。
学級の子どもたちは、保健所からPCR検査を受けました。
全員陰性でした。
二つの学年は、2日間、休校にしました。


学校は、2日間、リモートによる授業を実施しました。
一日2時間程度の二日分でした。
その学校の担任は、リモート授業の準備におわれました。
これは、勉強会に来られている先生の話です。


さて、問題は、リモートの授業の教科選択でした。
その先生は、「国語、ちいちゃんのかげおくり」を指導中でした。
しかし、その単元をリモートにすることはできません。
結局、学年で相談して、ことわざや漢字の学習をすることにしました。
学校の方針は、国語か道徳で実施してほしいとのことでした。


リモート授業を終えられて、昨日の土曜日に勉強に来られました。
リモート授業について話をしました。
リモート授業は、画面の向こうに子どもがいます。
しかし、その表情は見えません。
一方的な説明的な授業だったということでした。


どこかの学校で、リモート授業の意義を「学びの心を絶やさない」ということでした。
その先生いわく、「リモート授業は、余計に学びの意欲を低下させるのではないか」と話されました。。
その先生は、授業を知識理解がすべてだとは考えておられません。
子どもたちによる集団学習を実施してこられた先生にとっては、リモートの授業は問題点が多すぎるということでした。
学び合いができなすからです。
2日間の休校なら、リモート授業をする必要がなかったのでは。。


学校は、世間の意向に従って動くようになりました。
保護者や社会の視線を気にしながら学校教育活動をしています。
いつからそうなってしまったのでしょうか。

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