教育随想 606回 職員会、研究会、空回り・・・
教員以外の仕事についておられる人が、自分の仕事を話されているとき、話の真実味について魅了されます。
お話をお聞きするほど、その方の仕事に対する熱意、プライドを感じる人が多かったように思います。
ところが、先生方の話は、話せば話すほど内容が乏しく感じられます。
職員会や研究会の話し合いの時に感じる「あれ」なんです。
言葉の数は多いのに、なぜか「空回り」が感じられます。
むやみに
「懸命にやっています」
「これについて頑張っていくつもりです」
「指導にさらに努力していこうと考えています」など
自分を広げる言葉が多いです。
子どもについては、「一人一人を大切に」「一人一人に配慮して」など
具体的な提案はあまりしめされることなく、曖昧なスローガン的な言葉で終始します。
職員会では、「共通理解」を多用することで、話の内容が締めくくられます。
何をどこまで具体的に共通理解するのか。
それでも共通理解できないことはないのか。
そのための話し合いが具体的に乏しいです。
それぞれの先生が具体的に話を述べ合うと、共通理解ができないことがわかっているからです。
自分の本音がだせない職員会の時間が流れていきます。
提案事項のプリントも去年までの内容を踏襲したものが多いです。
問題点、今までの意義、教育効果については、看過されることも多いです。
研究会においても、自分を少し遠いところにおかないと参加できません。
本音で言える研究会もありましたが、ほとんどは、そうではありません。
教科学習の研究会では、一部のベテランの先生によって支配されます。
新しい考えは、否定されることもあります。
研究会とは、今までの研究を打破し、それを超える内容を発見する場です。
そこに、教員全体の質的向上があるはずです。
すべての会がそうであるということではありませんので悪しからず。