教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 607回 成就感、成功感に乏しい先生

先生方の多くは、教員としてのプライドは必要以上に持っておられます。
ところが、実際の場から受ける成功感・成就感に乏しいように思えます。
特に、挫折感、屈辱感、劣等感等のマイナス感情を乗り越えた成就感、成功感に乏しいように思います。


多くの先生方とお付き合いしてきて、私も含めて言えることがあります。
「他の先生に負けるのが嫌い」
素晴らしい実践をされると、なんとなく嫉妬します。
うらやましいと思うこともあります。
自分も頑張って追いつかなければと思うこともありました。
素晴らしい実践をされる先生の足をひっぱる先生も見かけました。


負けると思うことは勝負しない」
先生にも仕事において、得手不得手があります。
かなわないと思うことは、無関心になることもあります。


「負けると弁解で心の平静をとりもどす
うまくいかないことがあると、先に弁解されることがあります。
自分の指導がうまくいかなかった子どもに対して、自分の力量不足を問題にしません。
子どもの能力や家庭環境のせいにされます。
先生ほど、仕事において、弁解が多いように思います。(偏見)
企業においては、弁解よりも実績重視です。


これらのことは、先生になられた経緯にも関係があると思っています。
小・中・高・大を無難に過ごされました。
他の社会の人間関係を知っている人は少ないです。
学校社会では、「先生、先生」と持ち上げられます。
昨日まで、大学生であった若者が就任すると「先生」になってしまいます。
学級という閉鎖的で、自分の思い通りになる環境のなかに投げ出されます。
まわりは子どもたちばかりです。


これは、私にとって、初任者の頃から恐ろしいことでした。
子どもに先生、周りの先生に先生と、呼ばれることの恐ろしさを感じていました。
人間的に未熟であり、決して、堂々と生きてきたわけではありません。
にもかかわらず、いつのまにか、恥ずかしながら先生として生きてきました。
子どもたちとの経験を通して、自己反省を加えていく日々でした。
しかし、その反省も曖昧であったり、逃げたくなるーったりすることもありました。


子どもたちの前に立つ資格があったかどうか振り返ると、ノーという答えでした。

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