教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 601回  学びは 空腹から始まる

「今日は、○○の問題について勉強します」
いきなり先生の課題提示です。
子どもたちは、目の前の問題について認識していません。
「わかる、わからない」「できる、できない」が曖昧です。


おなかが空いた。
だからごはんを食べたい。
おなかが空かないのにごはんを食べさせていませんか。
栄養になるからたべなさい。
勉強でも、知りたい、わかりたい、できるようになりたいと頭が空腹になったとき、子どもたちは、学びたいと思います。


授業を参観していると、子どもたちの関心があるかは問題にされていません。
大切な学習内容だから教えられています。
子どもたちもテストにでるから、仕方なく授業を受けています。
学びは、空腹から始まります。
自分が空腹であると感じられるようにするのが学習指導です。


算数の授業を例に挙げます。
子どもたちは、今日の課題になる教科書のページを開いています。
先生は指示します。
「教科書を読みなさい。」
「わかるところに〇  わからないところに△を書きなさい。」
「なんとなくわかるところもわからないのなかに入れなさい。」
子どもたちは、黙読して自分のわかり方を点検します。


全体の疑問を考えるのではありません。
自分の個人的な疑問を見つけ出すのです。
ここが、独り学習(独自学習)の大切なところです。


△の印をつけたとところを発表します。
先生は、板書して課題を整理します。
そこには、いくつかの学習課題が出来上がっています。


次に、自分のあげた疑問が「どこまでならわかる、できるのか」を考えます。
何がわかれば、わかるようになるのかも考えます。
もちろん、子どもによっては、すべてできることはないです。
大切なのは、自分の疑問に向かっていく学びの姿勢です。


どの教科も学習課題を提示します。
しかし、その課題が誰からの要求からだされたものかが大切です。
子どもたち一人一人が
わからない、わかりそうだ。
できない、できそうだ。
この揺れる心が学びの始発です

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