教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 566回 授業を行ずる 常に、指導案の改訂を

私は、現場を離れてから勉強会のために、各教科の毎時間の指導案をかいています。
具体的に指導案を書いて、授業のあり方、進め方を一緒に勉強しています。
教育論をお話させていただくことはほとんどありません。
こうあるべきだということを話してみても、目の前の先生の役に立つことは少ないです。
もし、お話するとすれば、指導案を検討する時において、教育の姿勢なり目標なりを伝えます。


毎時間の具体的な指導過程をともに研究することで、教育について
考えることができたらいいと思っています。
指導案でその先生が実際に授業をされ、そのあとの成果と問題点を話し合います。
勉強会のために書いた指導案は、すでに2千時間はこえています。


指導案は、指導計画を書き終わった時が始まりです。
授業において、計画した案を修正していくのが実践家の仕事ですと伝えています。
授業の流れをあらかじめ計画しているから修正できるのです。
計画がなかったら、いきあたりばったりです。


さらに、同じ学年を担当しても、以前の指導案を参考に持ち出すことはあります。
しかし、全く同じものを使わないようにしています。
学校、子どもが違えば当たり前のことです。
指導案を書くことは、先生の授業力を高めることです。
実際、毎日、仕事をしていると、毎時間、細案はかけません。
だから、略案でもいいです。
一時間の授業に臨むときは、核となる発問を3つ考えておきます。
そうすることで、授業はぶれなくなります。


指導案は、できるだけ自分にあったものにします。
教科、単元によって、指導の流れが違います。
ですから、指導案も教科、単元によって変えます。
先生は、オリジナルの指導案形式をいくつも持ちます。


私も自分の指導案は、以前のものを常に改訂しています。
指導案を書いている時がとても楽しいのです。
実際の子どもたちはいませんが、頭のなかで子どもたちを動かしています。
具体的に考えるのが授業者です。


授業を行ずるのです。

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