教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 562回  子どもの成熟 異年令集団との交流

子ども同士、同世代子どもたちの会話を聞いていると、とても単純です。
すべて片言で通じ合っています。
本当に通じ合っているのではなく、情報交換の程度です。
その反面、お互いの感じ方、考え方に深く関与している会話はありません。


子どもたちが成熟していかない一つの要因として、子どもたちに世代をこえた会話が断絶していると考えます。


最近、近所に引っ越ししてきた家があります。
保育園に通っている男の子がいます。
その子が近所の人に「こんにちは」と明るく、自然に挨拶をしています。
物怖じしていません。(ここが大切)


親に強制されているようでもありません。
さらに、挨拶をしたあと、私に「保育園からかえってきたよ」と話しかけてくれます。
どうして、この子は、社交的なのだろうかと考えました。
ふだんからその家では、、知人と思われる大人が出入りされています。
常に、大人と関わっている子どもだったのです。
その環境のなかで、世代が違う人たちと会話ができるようです。


異年齢集団の交流、縦割りの活動が実施されているところがあります。
高学年に低学年と交流させると、年下の子どもとの会話、言葉づかいが変わってきます。
言葉使いが変わるのは、相手に対する気遣いが変わるからです。


私は、高学年を担任すると、一年生の子どもたちと普段から交流できる場面を設定しました。一か月に一回程度。
特定の曜日は、一年生と遊ぶ。
月に一回は、人形劇の実演と交流会を実施。
さらに、一年生と給食会も試みました。
このような取り組みをする時に大切なことは、低学年との関わりは、できる限り子どもたちに任せるようにします。
自分たちの思いで関わってみて、うまくいかない経験もあることを知ることがてきたらいいすですね。
人形劇を実演した時も、面白くなかったら一年生は集中力を失います。
会場がざわつきます。
それがいいですね。
低学年の子どもたちを肌で感じるときです。


やがて、年下の子どもに配慮する言葉づかい、気配りができるようになりました。
子どもは、感想のなかで、自分自身の幼い時の姿を一年生の子に重ねていました。


年上の人との交流として実践したのは
校長室で、校長先生と班ごとに給食をしてていただきました。
さらに、高齢者施設の方々との定期的な交流も実施しました。
年令が離れすぎると、子どもたちはフリーズする子も多くなってきます。
関わり方がわからなくなるようです。


子どもの取り巻く環境によって、子どもの言語機能は大きく左右されます。
いろいろな人たちと交流するなかで、
言葉の正しい使い方、語彙の豊富さ、心情の豊かさ、その場面に相応した言葉の使い方が変わってきました。


子どもたちには、先生以外の大人たちと話す場面を意図的に設定する必要があります。
給食の調理師さんを給食の時に招いて、会食するのも楽しいです。
先生とは違った見方を子どもたちに教えていただけます。
調理師さんは、子どもたちを勉強を通してみません。
だから、優しく明るい子が認められこともあります。


それ以外に、地域の人々に田植え、稲刈り、昔の遊びなどて、お世話になることがありますね。
そのときに、意図的に会話できる場面を設定します。
同年齢の子どもだけでなく、世代をこえた話し合いを通して、子どもたちは、少しずつ成熟していくように思いました。


学校や学級は、もっと地域に開かれる必要があります。
学校が意図をもって、積極的に地域の人々や活動のなかに参加していく必要があります。
開かれるとは、世代、集団の垣根を取り払うことです。

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