教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想546回 先生は学者ではなく どこまでも実践者

前回、6年生の学習指導ということで、高学年であれば実践可能なことを書きました。(私自身の実践から書いています)
ただ、「6年生・・・」としたのは、指導は常に最高の可能性を追求していくものだと考えるからです。
6年生は、高い目標をもって試みる具体的な内容を実現できるからです。
それが、子どもたちの可能性を具現化することになります。


「難しいので無理」だという先生自身が自らの試みを潰しています。
先生の今までの経験、周りの子どもたちの実態をもとにして、「無理だ」というブレーキをかけています。
先生の実践が経験だけをもとにしていたら先生の指導力は伸びないでしょう。
若い先生は、いろいろなアイデアをだして、「先生、こんなことをしてみたいのですが」という実践案を出されます。
それに対して、ベテランの先生は、自分の経験枠のなかで、その試みを無理だとされることがあります。


先生は、学者ではありません。
先生は、実践者です。
とにもかくも試してみることです。
もちろん、安全上の問題については慎重に配慮すべきです。
そして、実践してうまくいかなかった時こそ、その問題点を考察することを通して実践者の力を身につけることができます。


よく私に質問されることがありました。
「先生は、教育実践で、成功と失敗のどちらが多かったですか。」
私は、いつも次のように答えていました
「実践の道は失敗の道です。落胆と苦しみの道です。経験したことよりもさらに先の道に足を踏み入れると失敗が多いです。しかし、それは、自分を育て子どもたちを育てる道だと信じていました。」
「だから、はるかに失敗のほうが多かったです。」


先生も長くしていると経験だけに頼ってしまいます。
無難だからです。
失敗がなく安心できるからです。
20代の実践を40代以降でもそのまま実践されていることが多いですね。


実践する者は、できるだけ今までの経験を前面に出さないようにします。
「今までは、この単元は、このように教えていました」という考えを時には捨てる、いや、横に置いておくことが大切です。
学習指導案は、以前と同じものを活用しないようにします。
似た指導案であっても加筆、修正して活用します。


教科書会社の指導書は、一部参考にするところはありますが、そのまま使うことはできませんね。
それは、指導者の人生観、指導観、子ども観が異なるからです。
さらに、地域によって子どもたちを取り巻く背景が違うこともあります。


先生は、いくつになっても自分を試します
失敗のない、実践はありません。
新しい試みは、常に、未経験の世界に入ることです
それを楽しみにして生きていく道を選ばれてもいいのではと思います。


私は、失敗と落胆の道を歩んできた落ちこぼれの教員でした。
人間と教師の間の教員でした。

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