教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 531回 教え待ち 後追い 寄りかかり

授業において、極端な場合を考えてみましょう。


先生の教え込み授業
教え込むことは決し悪いことではありません。
必要なこと、基礎的なことは、教え込む必要があります。
子どもの意欲に関わらず、徹底して教え込み、一定の成果をあげられる先生は力があると思われます。
大概は、中途半端で終わっていることが多いです。
問題があるとすれば、子どもが「教えを待つ立場」になりやすいことです。


先生の引っ張り授業
塾の授業に見受けられます。
先生が学習課題を次から次へと出して、子どもに学習させます。
短時間で効率よく学ばせようとされています。
問題は、「先生の後追い姿勢」しかとれないことです。
先生が先頭をきって、授業を展開していくので、子どもたちは、あとからついていく姿勢しかとれません。
立ち止まることができません。


先生が指図する授業
読みなさい、考えなさい、ノートに写しなさいなど、学習活動のすべてを指示します。
校外学習で先頭に立つ先生に盲目的について行くようなものです。


授業において、「教え込む」「引っ張る」「指示する」ことは、部分的には必要です。
しかし、それだけに頼ってしまうことで、子どもたちの活気に満ちた学習が望めません。


「教え込む」「引っ張る」「指図する」は、すべて先生から発信されたものです。
この活動を子どもからのものにしてみたらどうでしようか。


子どもが教えてくれる授業
「先生、そこは、こんな考えもあるよ」
「先生の言ったこと、ぼくも本で調べたことがある。それはね・・・」
先生の教えようとしていることに、子どもが補足していきます。


子どもが引っ張る(指図する)授業
「先生、今の勉強、時間延長しませんか」
「先生、班で話し合う時間をとってもいいですか。」
「先生、今の説明では、少しわかりにくいです。もう一度・・・」
子どもたちが先生に寄りかかるのではなく、自分たちもやる気をだして学ぼうとする意欲を意識して育てます。


先生の教えなくてはという意識を少し引っ込めます。
すると、子どもたちの活動が生まれます。
引っ張るのを少し控えます。
すると、子どもたちが先生に指図するようになります。


これは教室のなかで先生がどこに立つかということです、
常に、先生は、教室の前面に立って教えている時。
先生が前の隅っこに下がるとき。
さらには、教室の後ろに位置を変えるとき。
そのように、立つ位置を変えてみるだけで、子どもたちの様子が変わることがあります。


私は、授業において、教室に立つ位置を変えていました。
先生が引っ張りますよ、指図しますよという時は、教室の前、中央に立ちます。
子どもたちが話し合いを始めだしたら、教室の隅の教卓の椅子に腰を下ろします。
子どもたちに任せますよという意思表示です。
全面的に、子どもたちに任せるときは、後ろに座っています。
授業参観の立場をとります。

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