教育随想 510回 子どもに引っ張ってもらう授業
子どもを導くことは大切なことであり、先生も日常的に実践されています。
これを否定するのではありません。
導くという行為は、ある場面で強制的に子どもたちを動かすこともあります。
それも必要な場面があります。
導くことが先生の仕事の核であることを前提としてお話します。
導くことなく、「指示」だけをだされる先生もおられます。
指示だけだして、のちに子どもたちがどのように変わったのかを見届けない先生もいます。
しかし、多くの先生は、指示をだして、その方向に沿って指導されています。
そのうえにたって、「子どもに引っ張ってもらう実践」もあることをお話します。
授業場面を考えます。
子ともたちが教材にのめり込むと、もっと深めたい、知りたいという欲求がうまれます。
「先生、もう少し勉強しようよ」
「次の授業も理科の勉強をしませんか」
「もう少し、実験・観察の時間をください」
「まだ、わかりにくいので、先生、もう少し詳しく教えてください。」
子どもたちの学習意欲が高まると、子どもたちから先生にさまざまな要求がなされます。
子どもの学習、学び方になれてくると
「先生、独りで考える時間をください。」
「先生、ここは班で話し合いませんか」
「班で教え合う時間をください」
などの提案がだされます。
子どもたちが先生よりも前に出始めます。
この時の子どもたちは輝いています。
先生にとっては、子どもたちの予想外の反応を目にすることになります。
もちろん、子どもたちの動きを予想しての指導ではあるのですが、それでも予想の壁を子どもたちは突き破ってしまいます。
子どもたちが先生をひっぱろうとするのは、先生の指導効果の表れです。
指導しているのだという勢いを前面に出さないようにします。
「ここは子どもたちの出方をみよう」という楽しみをもつことです。
授業が面白いのは、指導した通り、予想した通りに反応しない時です。
先生の予想の柵を簡単に飛び越えていくときです。
これは、授業の醍醐味です。