教育随想 504回 信念があって、子どもに厳しい、優しい先生をめざして
子どもに好感をもたれるのとそうでないのとでは、教育効果は全くちがってきます。
しかし、そのようにわかっていても、先生という人間性は、未熟なものです。
だからといって、子どもにへつらう必要はありません。
しかし、子どもたちに映る自分の姿を通して、自分という人間を省みる必要があります。
これから、いくつかの私の反省、目指してきたことを含めて、子どもたちに迎えられる先生の姿について、何回かに分けてお話します。
これらは、私の自戒であり、反省でした。
信念があって、厳しく、優しい。
子どもをどのように育てるか、育ってほしいか、自分の考えをもっていることです。
そうでないと、子どもたちへの指導はぶれてしまいます。
「先生、言うことが違うよ。」という子どもの声を耳にすることになります。
さらに、社会にどのような子どもたちを送り出すのかを考えます。
これは、国づくりをどうしていくかということにも関係します。(国家観)
厳しいだけの先生,優しいだけの先生、どちらも子どもを育てることはできません。
厳しさと優しさの間で、子どもを育てるのです。
厳しさとは、叱ることではありません。
先生の信念に照らして、譲らないことです。
子どもを認める、認めないかを吟味することです。
優しさは、受け入れることです。
子どもたちの間違いや欠点、ゆがみを受け入れることです。
先生も一人の人間ですから、自分の人生経験と照らし合わせると、許しがたいこともあります。
でも、まずは、先入観を捨て、受け入れるようにします。
私は、これらのことは、難しいことだと思います。
先生の人間としての修行に他ならないからです。
先生と子どもは、人間形成の過程という点においては、同行者です。
学校で一番厳しい先生、学校で一番優しい先生をめざしてきました。