教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 505回 子どもの学びの力は、先生の学びの力

全教科を先生になりたてから、うまく指導することはできません。
先生によって、得意な教科があります。
しかし、どの教科も子どもたちに指導すると考えたなら、どうしてもいい加減に済ますことができません。


へたくそなりに、指導の仕方を考える必要があります。
大学で学んだことは、ほとんど役に立ちません。
現場の先生になって、勉強していけばよいことです。


私は、大学は理科を専攻していたので、国語がとても苦手でした。
しかし、国語の指導なしには、小学校は成り立たないことに気付きました。
言葉を通して、作品を通して、人間、そのものに働きかけていけるのが国語です。
子どもにどうしても力をつけたいという気持ちが、先生を勉強に駆り立てるものです。


教科指導の力をつけるために、国語教育言論、理科、社会、算数などの原論から始めました。
それぞれの教科教育の目指すものは何かを理解します。
そして、できるなら、教科書の指導書にあまり頼ることなく、自分の授業案を考えます。
私は、指導書をほとんどみなかったです。
文科省の学習指導要領は熟読しました。
指導要領は書店で低価格で売られています。
できれば、全教科の指導書をそろえられたらいいです。


教科指導の巧さは、子どもの学び方を理解するところから始まります。
決して、先生の教材だけの知識、見識だけではだめです。
子どもをとおして、その手ごたえを確かめながら、授業方法を探っていきます。
成功した授業など、一回もありません。


授業の前と後の子どもたちの顔が違うことが、先生の指導の手ごたえです。
授業終了後
子どもの顔が明るくなった。
下を向いている子どもの顔が上がった。
質問がでるようになった。
授業の良し悪しは、子どもたちの学習意欲が膨らんだかどうかです。
意欲が大きくなれば、宿題をださなくても、子どもたちは家庭学習において、予習として勉強してきます。


教科それぞれの学び方(教科の論理)を生かして、子どもたちの学びの力を育てます。

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