教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 503回 子ども側にたって授業展開  3年国語「きつつきの商売」

教材を前にして、どのように指導していくかを考えますね。
高校、中学の教材なら、教材の内容を強く押し出すことができます。
生徒の興味関心を引き出すことも必要なのですが。
授業者の立つ位置、教材と生徒の間では、より教材に近い所に立ちます。
教材は学問的であり、内容も高度化してきます。


しかし、小学校では、授業者の立つ位置は、教材よりも子どもよりだと考えます。
低学年ほど、教材よりも子ども寄りに立って授業を構成します。


例を国語であげてみます。
この教材は、国語的には、このように教えるべきであるという意見があります。
それはそれでいいと思います。
しかし、教えるべき内容が優先され、子どもたちの興味関心から離れてしまったらどうでしょうか。
授業は、学ぶ側の子どもたち一人ひとりの関心意欲を高めることにあります。
ですから、より子ども側にたって、彼らの意欲を引き出すことが大切になってきます。


そうなると、「これを教えるべきだ」という内容をできるだけ少なくすることです。
低い目標を立てることが一学期当初の授業目標になってきます。
物語文でいうなら、一年間に4つから5つぐらいの作品が載っています。
最後の作品で、その学年の教科目標を達成できればいいわけです。
だから、最初の作品は、できるだけ指導目標を低いところにおくことになります。


3年「きつつきの商売」を例にあげて
単元目標
◎登場人物の行動や気持ちを叙述をもとに捉えることができる。
〇文章の構成や内容の大体を意識しながら音読することができる。
〇読んで感じたことを伝え合う。


さらに、具体的にすると
場面の人物の言葉や行動を通して、人物の気持ちを想像することができる。
登場人物の言動を叙述に即して読み取り、場面の様子を思い浮かべることができる
ようにする。


このように、言葉をたどりながら、こだわりながら、読みを深めます。
しかし、子どもたちが、この作品に一番の関心を持っているのは「音」です。
音を通して、場面の様子を想像することを考えます。
「音を通す」ということは、「音読を強化」することです。




2場面の後半の指導
〇指導目標
とくべつメニューの雨の音に包まれて聞いている野ねずみの家族の様子を想像する。
〇指導にあたって
 いろんな音を再現してみるのもおもしろい。
 子どもたちが楽器の演奏のように、擬音語を表現させる。
 これらの音を野ねずみたちがどのように感じているかは、最後の三行に集約されて
  いる。


教科書では(雨が降っている)
シャバシャバシャバ  ぶなの葉っぱに雨があたる音
パシパシピチピチ   地面に雨があたる音
パリパリパリ       葉っぱのかさに雨があたる音
ドウドウドウ ザワザワザワ  森のずうっと奥深くから聞こえる音


この音を野ねずみの家族が聞いています。
それぞれの音をどのように表現するかを子どもに考えさせて、表現できるようにします。
さらに、おもしろいのは、これらの音には順序がありません。
同時に、聞こえてくる音です。
そこで、合奏のように音だけで、森の中の雨音を再現させます。
子どもたちは食いついてきます。
どのような音になるのかは、文を吟味させます。


子どもたちは、このような場合、大きな音を出そうとします。
しかし、次の文を吟味すると、決してそうではないことがわかります。
「野ねずみたちは、みんな、にこにこうなずいて、それから、目を開けたり閉じたりしながら、ずうっとずうっと、とくべつメニューの音につつまれていたのでした。」
野ねずみたちには、雨の音がどのように聞こえているかが想像てぎます。
そのことを踏まえての音読なのです。


さらに、深めると
音がどこから出ている音か。
近くの音か、遠くの音か
高い音か 低い音か
音と音の間の時間は
以上のことを子どもたちが考えられる範囲で、気づく範囲で指導します。
決して、押し付けないようにします。


教材の内容のいくつかを捨てて、子どもに直接つながることを前面にだして、授業を展開します。
これが、より子ども側に立った授業することだと考えています。
教材論よりも子ども論を優先させます。

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