教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 499回  教室の 日なたと日かげ 挙手発言

授業は、常に、全員の子どもが相手です。
4月は、特に、そのことを強く意識します。


子どもたちが、主体的に意見を言わなくなるのは、挙手発言です。
手をあげて、先生が指名する挙手発言です。
挙手する子どもは、あててほしくてたまりません。
先生は、どうしても指名して発言させたくなります。


ところが、その様子を眺めている子どもがいます。
手をあげない、あげることができない子どもたちです。
新学期に、先生が手をあげる子どもを、積極的に指名する様子を見ています。
そして、次のように思います。
「今年も、授業は手をあげる友だちに任せておけばいい」
「今年こそ、手をあげて発言しようと思ったけど、やっぱり無理のようだ。」
「先生は、手をあげないわたしのことを見ていないような気がする」
「授業は、私が手をあげなくても勝手に進んでいくんだよ」


どうでしょう。
挙手の子どもたちで学習を進めると、最初から諦める子どもたちがいます。


どの子も発表したいのです。
でも、言えなかったのです。
友だちの前でうまく話す自信がないからです。
最後まで話せず、つまってしまうかもしれないと思うからです。
先生は、手をあげる友だちだけで勉強を進めているので、わたしなんか関係ないよ。
教室のなかに、役者と観客をつくっています。
授業において、発表する友だちを見ているだけの観客になります。


一時間の授業において、先生は、全員の子どもたちに発表の機会をあたえます。
挙手発言は、その機会の平等ではありません。


そこで、挙手をするのは、できるなら全体の傾向を確かめるときだけにします。
「わかる、わからない」「好き、きらい」など。


二つのことを考えます。
一つは、全員起立をさせて全員に発表させます。
話し終わったら着席です。
その時に、先生が指名します。


二つ目は、指名とつぶやきです。
一人一人の子どもを指名して考えを聞きます。
あるいは、全員につぶやかせるようにします。
自由に、無許可に話すようにします。
こうすると、話しやすい空気が生まれてきます。
そのなかから、おもしろい考えの子を指名して発表させます。


もちろん、挙手発言が絶対だめではありません。
それだけに頼っていては、子どもの主体性が奪われるということです。
諦めていく子どもたちがいるということです。
新学期の教室において、日向と日蔭をつくらないようにしたいものです。

×

非ログインユーザーとして返信する