教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想483回 見える事実から 見えない事実へ

「神戸市の小学校で、2,3月に小刀や彫刻刀を使う授業中、10人の児童が相次いでけがをしていることがわかった。このうち一人は右手親指のけんを切り、もう一人は、左手を数針縫った。他の8人は軽い切り傷だったが、市教委は、早急に原因を調べるとしている。」(毎日新聞)


市教委によると、ろうを削って作品をつくる授業で、5年生の4クラスで行われたそうです。小刀を使う際、安全確保のために図工教諭に加え、担任が補助に入ることにしていたが、3月8日は不在だったということでした。


さらに、市教委は、「大きなけがが続けて起きたのは問題がある。再発防止に努めたい。」と伝えています。


子どもたちの大きなけがや事故は、指導の仕方に問題がありますが、それよりも、子どもたちの学級環境に問題がある場合が多いです。
学校全体で統計を分析したことがありますが、けがや事故の多い学級はあれる傾向にあります。
保健室に行かれて、全学級のけがや来室状況を調べられたらいいと思います。
来室の理由として、腹痛や頭痛が多いです。
腹痛よりも頭痛のほうが深刻な場合が多いです。


子どもたちを取り巻く集団に落ち着きがなくなっています。
集団が成長しているかを見る指標の一つに「けが・事故」があります


まして、この時期の学級や子どもたちは、もうすぐ終わる開放感が背景にあります。
子どもたちの話し声が大きくなります。
叫んでいるような奇声も始まります。
静かに話す子どもたちではなくなっています。


子どもたちのけがや事故は結果にすぎません。
市教委は「再発防止ら努めたい」と話していますが、その原因をその時の指導のあり方に求めているようです。
もちろん、指導の仕方にも問題がありますが、そのことは、事故やけがの引き金になったにすぎません。


三学期になって、子どもたちはうわつき始めます。
そのような時こそ、授業、学級文化活動をすることで、仲間を意識させます。


私が一番おそれてきたことは、子どもたちのけがです。
小さな切り傷にも子どもの心の状態が表れています。
簡単に子どもの不注意だとかたづけないようにします。
不注意は原因であって、根本的な原因ではありません。
心ここにあらずの場合もあります。
暗い出来事を背負っていることもあります。
子どもたちの小さな小さな事実を見逃すことなく拾い集めていくと、子どもたちの心がそこに表れています。


指導者は、目の前の子どもの事実を大切にします。
目に見える事実から目では見えない事実を感じ取ります。

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