教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 477回 植物学習 点ではなく線として学ぶ

生き物の学習をまとめるとき、一つの反省が生まれます。
ある学校では、観察した回数が少ないので、記録用紙が数枚しかないと言われました。
場当たり的な指導が見られるのも事実です。
それは、晩秋の学習園をみればわかります。
育てた植物が実りあるものになっている学校。
すでに、枯れてしまったので雑草のごとく取り去ってしまった学校。
観察記録に発芽と茎や葉の成長、開花の記録はあります。
しかし、種をつくり枯れていく場面の記録がありません。


一年間を計画的に、どの場面を観察させるのかを4月当初に決めておく必要があります。
植物の学習は、点の学習(発芽、葉のしげり、開花、実り)ではなく、命の流れの学習です。
土に種をまいた時から命が始まります。


見えない土の下の種の様子を想像させるところから、観察記録が始まります。
どのようにして、重い土を持ち上げて発芽してくるのかを観察します。
生長していくときの茎や葉の成長は、太陽を求めるための変化です。
できるだけ陽ざしを浴びたいという願いが茎の伸びと葉のしげりかたに影響を与えます。


自然界での植物は、太陽光の奪い合いです。
そのために、できるだけ大きく高く伸びていきたいのです。
ですから、葉の付き方を観察して日光をどのようにして浴びているかを観察します。
まさに、太陽光発電ですね。


命をつなぐ、子孫を残すことが最大の課題である生き物。
開花は種をつくるためのひとつの方法です。
種をつくり命をつなぐことが大きな願いです。
ですから、枯れてしまったといって抜いてしまっては、最も大切な学習をしなかったことになります。


そのように考えると、生き物学習は種の発芽から始めるのではなく、種ができることから始める必要があります。
一年間でできた種をまくのだという意識が必要です。
子どもたちが播種することで、命をつないでいるという意識を持たせたいものです。

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