教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 476回  みじかくまとめる  ふくらましてまとめる

一年間の教科学習のまとめが行われています。
4年生の理科の学習の最後に「生き物の一年間」という単元があります。
学習のめあては「生き物の一年間の変化をまとめ」です。
これまで、生き物の様子を観察して、気温の変化とともに生き物の様子がどのように変化してきたかをまとめる学習です。


「まとめる」ということで、ある学校は「教科書の内容を視写させる」ことでまとめとしています。
また、ある学校では、「観察記録の用紙を閉じて一年間のまとめ」としています。
さらに、「生き物新聞」をつくってまとめとしています。
どこかで、まとめましたという形をつくろうとしています。


いろいろなまとめ方の工夫があっていいと思いますが、まとめるとはどういうことでしょうか。
まとめるとは、今まで学習してきたことを「わかり直す」ことだと思います。


学んだことを「短くしてまとめる」ようにします。
学習内容の核を把握するように指導します。
短くすることで、学びの要点をつかむことができます。
短くするには、余分の知識をふるい落とさなければなりません。
落として落として、中心となる内容をつかみます。
なんとなく学んできたことを、再度ふるいにかけてわかり直します。


反対に、「ふくらましてまとめる」ということもあります。
理科の教科書には、単元の最後にまとめの例が載っています。
それをそのまま視写するのではなく、自分の言葉に直してまとめなおします。
さらに、自分で調べて書き加えます。
疑問になったことも付け加えます。
実は、ここが一番大切なのです。
単元学習が終わって「わかった」から終わるのではありません。
そこから「さらなる疑問、ひっかかり」が生まれてくることがより重要です。
学びとは「わからないまま」、そのわからなさを持ち続けることだと考えています。
学びの種として生涯持ち続けます。
そして、大人になっていく過程で、何かのきっかけで持ち続けた学びの種が発芽することもあります。


ですから、授業の最後に「わかったこと」をまとめるのも必要ですが、さらに、大切なことは、「わからなかったこと」を確認して終わるようにします。
特に、理科や社会の学習において、疑問は広がるばかりです。
わかったことの上に「わからなかった」ことをふくらましてまとめとします。

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