教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 475回 これだけは やめたいですね

「わかりましたか?」「わかりましたね」を連発する先生。
このことは何度もお話してきました。
子どもたちは言います。
「先生、わかりましたね」と言われて、「わかりません」とい言えますか」と、口を開いた子ども。
若い時に子どもたちに指摘されたことです。


医者が患者に治療後、「もう、治りましたか」「治りましたね」と言われるのに似ています。
医者の場合は「まだ、すっきりしません」とは言えるのですが・・
もし、治らないと思えば医者を代えたらすむことです。
しかし、担任の先生はそうはいきません。
担任であるなら、一年間、固定して指導を受けます。
さらに、先生と子どもたちとの関係が遠い場合は、なおさら言い出せないですね。


医者が患者の表情を診て、治ったかどうかを判断するように、先生も授業のなかで子どもたちの表情、まなざしを見て判断できることがプロだと思います。
ただ、プロという言葉、私は好きではありません。
プロだと自覚したことがありません。
常に、挑戦者として、未熟極まりない私を大切にしたからです。


でたとこ勝負 無手勝流 勘だより と言われて授業をされていた先生を多く見てきました。
子どもたちが反旗を翻さない限り、一生それで通すことができます。
しかし、多くの子どもたちは、勉強に対して無気力になっていきます。
先生は、「やる気がないのはだめだ」と言っての子どもを責めます。
やる気を失せさせているのは誰なのでしょうか。


先生の良心とは「ごめんなさい、私の力が未熟だ」と感じ、さらに努力することだと思います。


授業中、子どもと同列になり親しみやすい先生になっても、子どもたちの渦中から、いつまでたっても浮上してこない先生。
若い先生を見ていると、「誰が生徒か先生か」に見えます。
これが悪いのではなく、そこから先生としてのオーラを感じられるように研鑽を積むことが必要だと考えるのです。

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