教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想  473回 学習指導に先生はいるけど、先生本人がいない

大学を卒業してから、最初の3年間は無我夢中で頑張ります。
この3年間は、とにかく教育現場に慣れる3年間です。


さらに、5年目になると、それなりに教育行事や事務にも慣れ、少しばかりのゆとりが生まれます。
そして、大切なのは、5年目から10年目の間です。
30代を超えると、周りから少しばかり頼りにされ、学校の教育の核になる仕事を任されるようになります。
実は、新卒から10年間で先生の将来の基礎づくりが終わります。
10年目以降の先生の姿勢が問題になります。


さて、授業を参観した時の話を例にして本題に入ります。
2年目の先生が、指導を案を何度も書き直して、授業に臨まれます。
しかし、実際の子どもたちと遊離してしまい、うまく学習指導ができません。
子どもたちに教えたいという立場が強すぎて、目の前の子どものわかり方、その気持ちがわからなかったようです。


参観者の皆さんからは
「発問や助言が適切ではなかった」
「もっと、子どもの発言を待つべきでした」
「子どもたちの発言の取り上げ方がうまくいかなかった」
「板書をもっと工夫をすればいい」
最後の方になると「若いからこれからもっと勉強すればいいですよ」と、慰めと励ましの言葉で締めくくられます。


その時、私は、その先生に伝えました。
「この授業のために、教材に取り組む姿が素敵です。さらに、先生が教材の何を教えたいかがわかりました。先生の授業を参観させていただき、子どもに少しでもわかるように指導したいという気持ちが伝わってきました。」
そして「今日の授業のなかに、〇〇先生という指導の姿を見させていただきました。」


教室における授業を参観していて常に思ったことがあります。
先生が教えているのに、助言しているのに、そこに先生個人の姿が表れていないことでした。
授業者の姿には、次の2つのことが必要だと考えます。


教材について、幅広く、深く研究している。(専門性)
子どもとの接し方のなかに、先生の(人間性)がにじみ出ている。
授業者の専門性と人間性は、指導の両輪です。
先生という仕事は、大学を出れば誰でもやれる仕事ではないと思っています。
授業者の年齢に関係なく、授業のなかでその先生の両輪を見つけたときは、とても心地良いものでした。
授業がうまくいく、いかないという結果にこだわらないで、先生は、自分の信念をもって、子どもたちと共に学習の舞台に上がることが大切です。

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