教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 470回  授業改造  四つの視点

子どもの「ものの考え方」「生き方」「意欲」と切り離して、授業を考えることはできません。


一人ひとりの子どもは生まれた時から家庭という環境で躾られてきました。
親の考え方を大きく反映しています。
子どもたち同士の会話を聞いていると、親からいつも言われている言葉を友達に話し手います。
「ぐずぐずしないで早くしてよ」「もっとちゃんとしてね」
「何をぼんやりしているの」など。


子どもたちの根強い生き方や考え方に寄り添います。
「わかりたい欲求や願い」を、教科の論理とつなげていく必要があります。
指導案を考えるとき、いつも具体的な子どもが頭の中にあがってきます。
あの子だったら、この場面についてどのような考えをだしてくるだろうかと考えます。
一般的な子どもではありません。
先生の教室に集合した一人ひとりの個性的な子どもたちを相手にします。
目の前のAくんBくんを思い描きなから、授業を計画します。


その上で次の4つのことを考慮しながら授業を組み立てます。


学習者(子ども)主体による知的探求の過程づくり。


 教科の考え方、学び方に立脚した指導過程を考えます。
 それぞれの教科の学び方、目的とするねらいは違います。
 教科と人間づくりをつなげていきます。
 子どもにとって、「おもしろい」「ぼくでもできそうだ」という気持ちが生まれる指導過程を考えます。


②子どもの思考と認識、集団を通して学べるようにします。


 子どもを育てるのは子どもです。
 子ども同士の認識の違いが新たな考え方を生み出します。
 子ども同士が一致した共通認識、理解は、子どもの学ぶ自信を深めます。
 子どもの考えを広げたり深めたりするのは、先生ではなく子どもたちです。
 子どもたちという集団を通して、人間としての関わりを持たせることです。
 人間としての関わりとは、お互いの本音でぶつかり合えるような学びです。
 わかるまで、わからないと友だちに食い下がる子どもたちです。


優秀児中心から脱却して、すべての子どもの参加をはかって授業を成立
 させます。


 手をあげる子どもの発言をつないで授業を終了ということにならないようにします。
 挙手しない子、黙っている子、ぼんやりしている子、自信がない子などを優先的に授業の舞台にあげます。
全員参加の授業と簡単に言いますが、とても難しいことですね。


実際に全員の子どもたちを動かすことはむずかしいです。
しかし、大切なのは、授業者が、意識のなかで全員の子どもを眼差しのなかにしっかりと入れて、授業を展開することです。
授業者の相手をわたしとあなたの関係で意識します。
決して、第三者、わたしと彼ではありません。



④すべての子ども思考を促し、とりわけ学力低位の子どもを積極的に学習に参加させ、その子の可能性を最大限に開発することに努めます。


 低位の子どもをどこで誘い出し、学びの場を与えるかを指導案に織り込みます。
 全体の場で活躍させることで、眠っていた学びの意識が芽生えるように なります。
 全体の場に引き入れることで、子どもの所属感(みんなといっしょ)と有能感(私もできる)
  を育てることができます。

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