教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 465回 やっと終わる  もう終わる どちら?

4月に担任を引き受けて、残り一ヶ月ほどになった時、先生方は、どのような気持ちになられるのでしょうか。


私は、この時期、いつも複雑な気持ちになりました。
4月に目標をもって計画実践してきたことができたのかどうか。
できたかもしれないと思うものはあっても、明確にできたというものはなかつたように思います。
物作りならば、ある程度のかたちが現れてくるのですが、人間を育てるのはやはり見えないものです。
行動にあらわれている子どもたちの姿がはたして本物なのかどうかと考えたら、なんとなく虚しさを感じていました。
子どもと過ごす日々はとても楽しかったです。
警報がでて休校になり子どもたちが登校しない学校は、私にとってつまらないものでした。
子どもたちがそこにいるから、学校なのだと思ったものです。


あと、一ヶ月、一週間あると思えば、これだけは子どもたちに学ばせたいとか、育てたいとか、少し焦ることもありました。
毎年、三学期の終業式のとき、各学級の子どもたちが教室を出て校門を抜けていきます。
私は、全校生徒の様子を校門の前にたって、下校する子どもたちの表情を眺める習慣がありました。
子どもたちが下校する時の子どもたちの表情を眺め、会話を耳にしたかったからです。
「やっと、終わったなあ。今度の担任はだれかな」
「ああ、終わったぞ、すっきりしたなあ」
反対に
「ああ、もう終わってしまった。もう少し、いたかったなあ」
「楽しかったのになあ、次はどうなるのか心配だよ」
いろいろな声が聞こえてきます。
子どもたちの一年間の生活がなんとなく見えてくるようです。


もう、終わった   やっと終わった
先生方はどちらの感想を持ちますか。
学級が崩れ、子どもたちとの関係がうまくいかなかったら「やっと、終わったなあ」という気持ちをもたれるでしょう。


先生と子どもたちが一年育んできた成果が随所に見られるはずです。
なごり惜しさも感じます。
しかし、まだ、終わっていません。
私たちは、子どもたちの心や頭のなかに多くの種をまいてきました。
芽がでるかどうかはわかりません。
おそらく多くの芽は出ないでしょう。
教育の仕事とは、そのぐらい頼りなく、はかないところがあります。


だからといって、先生の子どもへの働きかけを止めるわけにはいかないのです。
子どもたちは、先生を選んでここにきたわけではありません。
先生も子どもたちを選んだわけでもありません。
お互いが偶然出会い一年間という時間を共有したわけです。
笑いの時間、苦労した時間、喜びあった時間、励まし合った時間・・・


子どもたちの魂と先生の人間としての魂が本当にふれあったなら、子どもたちの心に良くも悪くも刻まれることでしょう。
そのような経験を何十年も過ごして、退職していくのが先生です。

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