教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 454回 学習問題をたしかめる過程

学習問題をたしかめる過程
常に、子どもサイドに立つことです。


子どもの発言を十分に取り上げます。


当たり前のことなのですが、意外に難しいのです。
先生は、自分の期待している子どもの発言があると、後の発言は打ち切ることがあります。
「そのとおりだね」「よくわかったね」「先生も同じだよ」と言って、他の子どもたちの意見を遮断します。(一種の情報操作)
先生は、早く授業を予定どおり前に進めたいので、その気持ちはわかります。
しかし、それば、「授業は流すものだ」という考えに立っています。
私は、授業は滞るものだという考えを持っています。
子どもは、変化する未知数、変数です。
先生も子どもたちも定数ではなく、変数だから大変ですね。


一部の子どもの発表にならないようにします。


これもわかっているけどできないことがあります。
だから、私の場合は、挙手発言を極力避けてきました。
なぜなら、挙手している子どもは概ね理解している子どもです。


私が相手している子どもはわからない子ども、自信のない子どもです。


だから、私の子どもたちの発言形態の主流は、自由発言と指名発言です。
自由発言で理解している子どもたちの動向を確かめます。
そして、わかりづらそうにしている子どもを指名発言で拾い上げてサポートします。
挙手発言を使うときは、子どもたちのわかりぐあいを目で確かめるときです。
「まだ、わかりにくい人もいるので、もう少し時間をおきますね」


理由や根拠を明確にして発言させる。


なぜ、そのように考えるのかを言葉で伝えられることは大切です。
しかし、この場合も先生の思いだけで進めないようにします。
柔軟に、流動的に対応していきます。
結論を言っても理由がうまく言えない子、結論は感覚的に言えても理由がわからない子どもがいます。


そのような時に、先生は、その子に手を差し伸べます。
「○〇さんの考えだね。理由は言えるかな。わかっているけどうまく言えないんだね。
もしかして、こういう理由じゃないの?」と、相手の子どもの表情から気持ちの動きを察知しながら支えていきます。
このあたりが全員の子どもを学習に参加させる手立てです。
個々に応じるとは、子どもの心の動き、感情に寄り添うことです。


小声、不明瞭、早口等の指導をします。


これらの指導は注意が必要です。
安易に「もっと大きな声で」「もっとはっきりはなしなさい」「もっとゆっくりはなしなさい」
これは助言ではありません。ただの指示命令にすぎません。


子どもが小声でしか話せない理由があるはずです。
かつて発言した時に途中でつまってしまったとか、からかわれたという時。
学習内容に自信が持てない時。
たまの発言なので緊張している時。
それ以外にもあるはずです。


その理由を推察して、最初の内は小声であることを認めます。
聞きづらかったら先生が子どもに近づけばすむことです。
その子の発言内容を認めて全体に広げていくようにします。
子どもは、そのようにされることで自信を回復します。
不明瞭も同じ原因です。


早口の場合は、文節に区切って先生が復唱します。
そのうちに、ゆっくりと話すようになります。
恥ずかしさをともなっていることもあります。


「たしかめる」段階とは、問題を深く追究する過程です。
この時に、先生が教材サイドにたって授業を展開しがちです。
教材は教える目的ではありますが、子どもの学び、意欲を育てる手段でもあります。
より子どもサイドにたって授業をしたいものです。

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